2024年の新NISA開始を契機に、世間では投資の話題が少しずつ身近になっている。しかし、依然として「投資や保険、とにかく金融は難しい」という印象は根強く、生活者と金融の距離は縮まりきれていない。こうした現状を変えるべくフィンテック企業のMILIZEでは業界改革を推し進めている。「私たちが真のフィンテック」と語る代表取締役社長・CEOの田中徹氏に、テクノロジーが可能にする金融の未来と、その先に生活者が享受できる恩恵について話を聞いた(全2回の1回目)。

金融の仕組みへ疑問を抱き、入行9年目で銀行退職を決意

――御社は金融工学とAIを用いて「もっとフェアな金融」を目指されています。金融を誰にとっても分かりやすく、使いやすいものにしたいと考えるようになった経緯をお聞かせください。

起業する前は、新卒で就職した銀行に9年在籍していました。支店で個人のお客さまや地元企業の社長さんと接する、いわゆる普通の銀行員っぽい仕事をしたのが最初の3年で、その後は、東京の本部でクレジットデリバティブ商品の開発や、トレーディングなど、当時の最先端とされた金融工学の仕事に就きました。

そこでモニターがたくさん並ぶデスクで朝から晩まで画面を眺め、同僚ともほとんど口をきかないような環境で取引を繰り返すうちに、次第に「なんとなく違うな」と思い始めました。全くやりがいを感じなかったのです。

最初の支店勤務の時のように、年配のお客さまに世の中の仕組みを教えていただいたり、先輩とお酒を飲みながら談笑したりする機会が全くなくなってしまい、人との関わりがなくなると、どんなにお金を儲けていても、ちっとも面白いとは感じられませんでした。

また、当時はバブル崩壊後の厳しい時代でもあり、取引先が必ずしも幸せになる結果ばかりではありませんでした。金融は人にお金を貸したり、便利なサービスを提供したりした対価としてお金をもらう仕事だと思っていたのが、仕組み上、必ずしもお客さんがみなさん幸せになるわけではないというのを悟ってしまって……。

その後、日本では巨大な不良債権処理とそれに伴う金融機関の破綻や合併が相次ぐ頃、ニューヨーク支店に転勤になりました。

オフィスには連邦準備銀行(FRB)の監督官が常駐していました。彼らは「なぜ君たちは日本に帰らないのか」「日本の銀行なんてニューヨークにいる価値がない」と厳しい言葉を投げかけました。

米国、そしてニューヨークはグローバル資本主義の中心地ですから、欧米をはじめ世界中の有力金融機関が拠点を置いています。それで自分の勤める銀行だけが撤退したとなるとメンツの問題を含めて大変なことになりますから、「自分たちはここで、グローバルなリスクを管理する必要があるのです」「なんとかニューヨークに置いてください」と主張しつつも、本心では「自分たちがここにいる必要はあるのだろうか」と考えていました。

目の前の仕事への興味が薄れ、金融業界の不健全さやさまざまなアラについて考えるようになり、勤めていた銀行を辞めようと決意したのでした。