夜は資産運用、昼はプログラミングに明け暮れる生活がスタート

――銀行退職後、起業という選択をとったのはなぜでしょうか。

当時はインターネットも出たての頃で、スマホもまだ誕生していません。今のような転職エージェントもありませんから、とにかく、ニューヨークから日本に帰りたいがために、次の転職先も決めずに「もう辞めます」と上司に告げて帰国しました。その時、職場で開いてもらった送別会で「ついて行きます」と言ってくれた部下がいました。冗談だろうと思っていたところ、本当に辞めて日本まで追いかけてきたのです。

こうなると、自分だけで転職活動をするわけにもいかず、2人で組んで仕事をすることにしました。自分たちにできることを考えた時に頭に浮かんだのが資産運用とプログラミングです。そんな求人はなかったので、自分たちで始めるしかないと立ち上げたのが最初の会社です。

「僕たちは資産運用が得意で、トレーディングができます」「プログラムはめちゃくちゃ書けます」と体当たりで営業してみましたが、門前払いされることも多かったと記憶しています。幸い、お金を出して仕事を任せてくれる会社が見つかって、その会社のお金を米国株の運用で増やす仕事を始めることができました。

ニューヨーク市場が開いている夜間はトレーディングで利益をあげて生活費を賄い、昼間は睡眠時間を極限まで削ってプログラミングをして、銀行のリスク管理を効率的にできるソフトウェアを作る生活が続きました。

当時、日本の金融機関は高価な海外のソフトウェアを買い、英語のマニュアルを読みながら使っているような状況でした。そこで、自分たちで日本人向けに使いやすく、コストを抑えたものを作ろうと考えたのです。

そうして出来上がったソフトウェアに、九州のある大手地銀さんが目をつけてくれて、彼らのニーズをあれこれと取り入れて開発したものを納品したら、とても喜んでくださいました。さらに、他の銀行にも自由に売っていいと言ってもらって、最終的に約100の金融機関に導入していただきました。

それからは、次の機能開発、法令対応、別のソフトウェア開発とのめり込んでいるうちに、資産運用の仕事はそっちのけとなり、いつの間にかシステム会社の社長になっていました。