夫からの言葉
そうしていよいよ迎えた壁のリフォーム開始の日。安美は、平日に珍しく休みを取ることができた遼一とともに壁紙の張り替え作業を見守っていた。ちなみに俊彦は、土曜だというのに朝からサッカー部の練習へと出掛けていて不在。どうやら夏の大会で3年生が引退してからというもの、部活が楽しくて仕方ないらしい。そんな俊彦と入れ違いにやってきた業者の職人たちはあいさつもそこそこに、手慣れた様子でリビングの壁紙を剝がしていった。
剝がれた壁紙の裏に広がっていたのは、案の定、真っ黒に変色した壁。憎きカビは、見積もりに来てくれた担当者が言っていた通り、壁の内部にまで浸食していた。安美は、思わず口元を手のひらで覆った。一応市販のマスクはつけていたが、その隙間から黒いカビが侵入してくるような気がしてならなかった。
家族がくつろぐリビングに発生していた大量のカビ。安美たちは知らず知らずのうちに、その胞子を日常的に吸い込んでいたのだ。想像はしていたし、ある程度は覚悟もしていたがショックは大きかった。安美はその光景を目の当たりにして、今まで自分がどれだけ家のことに無頓着だったかを思い知らされた。
「こんなになるまで気付かなかったなんて……」
自分が湿気対策を怠ったせいで、家族の健康を脅かす事態を招いてしまった。息子の俊彦に至っては、すでにダニの被害に苦しんでいる。
「これじゃあ、主婦失格ね……」
安美は、隣の遼一にだけ聞こえる声で、ため息を吐くようにつぶやいた。日々の忙しさを言い訳に家の隅々まで目が届かなかった自分を責める気持ちでいっぱいだった。しかし、遼一は決して安美を責めようとはしなかった。むしろ冷静にリフォームの進行を見守り、動揺している安美の不安を和らげようとしているようだった。
やがて遼一は安美の肩に優しく手を置いた。
「本棚の裏なんて気付かなくて当然だよ。だいたいあの本棚は、安美1人で簡単に動かせるものじゃないしね」
「でも......」
「俺ちょっと調べてみたんだけどさ、新聞紙を本棚の裏に貼っておくと、余分な湿気を吸収してくれるんだってさ。リフォームが終わったらうちでもやってみようよ」
「うん、ありがとう」
「気にするなよ。俺なんて家をあけてばっかりでさ、家のことは全部安美に任せちゃってるんだし」
遼一の優しい言葉に、安美は少しだけ気が楽になるのを感じた。