もっと早く来ていれば…

新幹線が目的地に着いたのは3時間後のことだった。駅からタクシーに乗って老人ホームへ直接向かった。幸三が生活をしている老人ホームは、まるでマンションのような外観をしていた。

「すごいところね……。老人ホームってこんな感じなんだ。うちの親もこういうところに入るのかな」

「まあ、実里のご両親はまだまだ元気だし、先のことだろうな」

受付を済ませると、検温と消毒、そしてマスクの着用を求められた。言われた通りにマスクを着け、職員に連れられて、施設の中を歩いていく。幸三の存在が近くにあるというだけで、心拍数は上がっていった。和寿にとって、幸三は恐怖の対象だった。小さいころはよく、幸三が近くにいるだけで呼吸がしづらくなった記憶があった。どれだけ年齢を重ねても、父親の前ではやはり子供のままだということを痛感する。

幸三の部屋は3階の角部屋だった。案内をしてくれた職員は扉の前まで来たところで頭を下げて引き返していった。和寿は軽く息を吐いて、ノックをする。中から母の声が返ってきた。事前に会いに行く旨を連絡をしていたので、先に来てくれていたらしい。母もだいぶ驚いていたが、細かいことは何も聞いてこなかった。

ドアを開けると、大きなベッドと来客用のソファとテーブルが置いてある部屋のなかに、記憶よりもずいぶん年老いている母と車いすの上で背中を丸めている幸三の姿があった。服の袖から見える腕は痩せ細り、頰の肉が垂れ下がっていて、視線はうつろだった。昔の威厳などまるでなかった。変わり果てた幸三の姿に、和寿は言葉を失った。

「あら、いらっしゃい。よく来たわね。実里さんも遠いところありがとうございます。ほら、和寿、お父さんにあいさつをして」

母に声をかけられ、和寿は戸惑いながらうなずいた。しかし痩せこけた幸三は和寿たちに気付くこともなく、ブツブツと何かをつぶやいている。

「……」

父の見舞いに行くことを母に伝えたとき、認知症がだいぶ進んでいるというのは聞いていた。しかし、日常会話までできなくなっているとは想像していなかった。隣の母が寂しそうに目を細めた。

「うん、もう2年前くらいからはこんな感じ。でもね、たまーに会話もできる状態になることがあるの。まだら症状って言うみたいだけどね。最近は、ずっとこんな感じかな」

和寿は唇をかんだ。この状態で何を言っても幸三の耳には届かないだろう。もう少し、せめてあと2年、早く来ていればと和寿は思った。