なぜ機関投資家は、コスト面の不利を承知で、アクティブ運用等を使うのか?

ただ、アクティブ運用や非伝統的運用の利用がインデックスに対するパッシブ運用比不利になるのは、機関投資家も同じだ。では、なぜ彼らは、わざわざ高コストのアクティブ運用や非伝統的運用を使うのか?

もちろん、より高いリターンを獲得したいとか市場における様々な投資機会を捉えて収益化したいという動機があるからであるが、単にそれだけではなく、機関投資家そのものの本質に根差している可能性があるのではないか。

すなわち、機関投資家の運用資産は、年金受給権者から預かりものであるから、好むと好まざるとに拘わらず、コストアップを承知で、アクティブ運用等を使わざるを得ない、これが筆者の見解である。

ここで機関投資家がインデックスに連動するパッシブ運用のみで運用していたと仮定してみよう。単純化のために、株式100%とする。株式であるから、当然にして価格は上下する。年間で20%内外はリターンがブレることはよくあることで、最悪の場合は半減する可能性すらある。

こうした場合、機関投資家といえども平静で居られるだろうか?運用に携わる人たち全員が運用経験豊富であれば格別、投資判断に携わる関係者数が多ければ(❾)多いほど、そうでない人間も多々いる可能性がある。仮に、全員が運用経験豊富であるにしても、人様からお預かりした資金であるという意識が強ければ強いほど、これだけの大きな振れ幅に耐えかねるのではないだろうか。

それでも、一方で、年金受給権者に対する説明が可能な規律を持った運用(➓)が求められる以上、途中で運用内容を変える訳にはいかない。よって、こうした振幅を軽減したり、収益源泉としたり、あるいは心理的な負担を軽減したりするには、アクティブ運用を採用せざるを得ないのではないか。さらには、株式と異なる値動きが期待できるとの触れ込みの非伝統的運用に頼りたくもなろう。言い換えれば、彼らにとって、アクティブ運用や非伝統的運用は分散の手段であり、身も蓋もない言い方をすれば、株式に長期投資できるようにするための便法と見ることができるのではないか。

この点、個人投資家の場合、自己資金の運用であり、運用規律は必要ない。運用がうまく行かなくなったら、その運用を止めれば済むだけの話だ。ある意味、わざわざコストを掛けずとも株式リスクから身を遠ざけられる訳で、これを機関投資家に対する個人投資家の強みであると言って言えなくもない。

ただし、これは弱みでもある。すなわち、株式下落の際、運用をストップしたら、反発の場合の利益を獲得する機会も放棄してしまうことになるからだ。したがって、個人投資家にとって運用規律は不要というのは言い過ぎで、将来の収益機会を逸しない程度には規律を保つ必要があるというのが正解となる。具体的には、市場下落局面での運用減額は致し方ないが、ゼロにするのは避けた方がよい、ということになる。

個人投資家向け運用の「理想像」とは

以上をまとめると、個人投資家は、

  • 機関投資家向け運用を参考にしてもよいが、模倣する必要はない
  • 投資する商品に関しては、よくよくコストを精査すべき
  • 個人投資家の強みは、自己資金だけに、迅速な投資判断が可能となること
  • ただし、機関投資家ほどではなくとも、リターン獲得の機会を放棄しない程度の規律は必要

ということになる。

こう考えてくると、昨今しばしば推奨されるインデックス投信の定額積立は、上記を具現化する上で、驚くほど理に適っていると言えるのではないか。

ただし、これとても、インデックスをどれにするか、トレンドを持った価格の上下動に対応できるか、シニアな個人投資家にも耐えうるか、債券運用を考慮しなくともよいのか、といった諸々の点を検討していく必要がある。また、経済合理性一辺倒で考えた「理想像」であり、個人投資家の置かれた環境、年齢、選好といった要素は一切考慮しておらず、これでよいのかも考える必要があるが、残念ながら紙幅が尽きた。これらに関しては、追々検討していくこととしたい。