東証の“お願い”が高配当を後押し
2014年にスチュワードシップ・コードが、そして2015年にコーポレートガバナンス・コードが策定されたことにより、企業側はコーポレートガバナンスを意識した経営をしなければならなくなり、同時に企業に投資する機関投資家は、株主としての本来の役割を全うするための原則を適用されることになりました。
加えて、それらをさらに加速させるため、2023年3月31日付で東京証券取引所が、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願いについて」という事実上の要請を行いました。この資料によると、「プライム市場の約半数分、スタンダード市場の約6割の上場会社がROE8%未満、PBR1倍割れと、資本収益性や成長性といった観点で課題がある状況」であると指摘しました。
簡単に言うと、上場企業として存続したいのであれば、ROE8%以上、PBR1倍以上になるような経営努力をしてください、ということなのです。
2023年に入って、日本株は大きく上昇しました。日経平均株価や東証株価指数などの株価インデックスもさることながら、特にPBRが1倍を割っていて、豊富な現金を持っている、株価が割安に放置されている企業に対して、一気に買いが集まったのです。それはPBR1倍割れを改善するためにはROEを向上させなければならず、それには増配などが必要になるという連想が働いたからに他なりません。
先ほど「株主軽視の考えが長く定着した」と述べました。
意外にも戦前は高配当が当たり前だった
しかし、大昔からそうであったわけではありません。株式会社の草創期であった明治時代、日本企業の配当性向は高く、株式は人々の資産形成に重要な役割を果たしていました。
当時の日本企業の株主に名を連ねたのは、富裕な個人の資産家。彼らは同時にその企業の取締役となって業務の執行を担っており、配当と役員賞与は企業の利益に連動し、獲得した利益の大部分が配当として払い出されていました。
会社四季報(東洋経済新報社)が初めて発刊された1936(昭和11)年。当時の四季報によれば、配当性向が50%を割るような企業はほとんど見当たらず、80〜90%の企業も珍しくありませんでした。その状況を変えてしまったのは戦争です。資源の限られた日本が大国と戦争するには、株式会社が獲得した資本を市中に分散させるわけにはいかなくなったからです。
国家総動員法は度々配当規制を行い、額面の5%以上の配当が実質的に禁止されました。配当が得られないなら個人の株主は企業から離れていきます。こうして日本企業のガバナンスは戦争によって大きく変化してしまったのです。
このように時代とともに会社と株主の関係も変化してきています。
●第3回は【2つの指数を組み合わせればOK! キャピタルゲインと配当利回り、両方を狙えるポートフォリオの組み方】で、高配当投資の戦略について解説します(6月27日に配信予定)。
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