衰える義祖母と脳梗塞の義母

義祖母は80歳を過ぎると、料理以外はやらなくなった。義母は当てにならないため、七瀬さんは夜勤もある看護師の仕事を続けながら、料理以外の家事を担った。

同居から3年ほどたったある日。義父と農作業をしていた義母のろれつが突然回らなくなり、義父が急いで病院へ連れて行くと脳梗塞と診断された。

義母は大好きだった農作業ができなくなった。

夫は45歳で会社を辞め、農業に専念し始めた。長女は23歳で結婚し、家を出た。次男は関東の大学に進学し、一人暮らしを始めた。

2015年。70代の義母は血管性認知症で要支援2。90代の義祖母はアルツハイマー型認知症で要介護2。

40代後半になり、仕事と2人の介護の両立が難しいと感じていた七瀬さんは、義祖母に施設入所を促したが断固拒否される。孤軍奮闘の日々が続いた。

管理職をしていた七瀬さんは、キャリアを手放したくなかった。朝4時に起きて夕食の下ごしらえを済ませ、夜は帰宅後に朝食の下ごしらえをした。夜勤明けで帰宅した後、ちょうど繁忙期だった夫に「農作業を手伝え」と言われて、一睡もせずに手伝ったこともあった。

しかし長くは保たなかった。50歳になった七瀬さんは退職を決意した。

義父が肺がんに

義祖母も義母も便いじりをして立ち歩き、その手で家具や壁を触るため、七瀬さんはほとほとまいっていた。

「やろうとしてやったわけではないし、怒ってもなぜ怒られているかわからないのは十分理解できているのですが、後始末を誰にも手伝ってもらえないことに腹が立って、『いい加減にして!』と怒ってしまうことがあります。看護師時代には一度も口にしたことのない言葉ですが、家ではダメですね……」

1階のトイレは1日に何度も掃除しなければならなかった。

たった1人で農家を継いだ夫は頼れず、義叔母も義弟も義妹も知らぬ存ぜぬを貫いている。

退職から1年ほどたった頃、七瀬さんは義祖母に頭を下げた。

「義母にも手がかかるようになって、私はもう限界です。施設に行ってもらえませんか?」

すると義祖母はうなずいて言った。

「今までいっぱい世話になったな。ありがとう。施設に行くよ」

義祖母が施設に入ってくれてホッとしたのもつかの間、ヘビースモーカーだった80代の義父は2022年の6月、肺がんが見つかり余命1年と宣告を受ける。

すぐに手術を受けたが転移があり、医師からは抗がん剤を勧められたが、義父は「やらない」と答えた。

「がんの末期患者は手がかかる割に収入が少ないので、医師からは『在宅でみるように』と言われ、義父も『家がいい』と言ってなかなか病院に行こうとはしませんでした」

七瀬さんは義母の介護や義祖母の面会をこなしながら、義父に何かあったときのために病院探しをしておいた。

宣告からちょうど1年たった今年の6月。義父は突然「病院に連れて行ってくれ」と言い入院。9日後に亡くなった。

「義父の面会に行っていたのは私1人。私が面会に行くと、『会いたかった、会いたかった』と言われましたが、感謝や謝罪の言葉は最後までありませんでした……」