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日本郵船は2022年3月期、1兆円もの純利益を稼ぎ出しました。海運業界で純利益が1兆円を超えるのは初めてだとみられており、日本郵船に注目が集まっています。

【日本郵船の純損益】

 

出所:日本郵船 決算短信より著者作成

日本郵船はどのような歴史を持つのでしょうか。

渋沢栄一との対立を乗り越え誕生した大海運会社

日本郵船は、三菱グループ創業者である岩崎彌太郎(いわさき・やたろう)の郵便汽船三菱と、「日本近代化の父」渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)らが設立した共同運輸が1885年に合併して誕生しました。実はこの両社、合併前は非常に仲が悪く、激しく争ったことで知られています。

岩崎は1870年、当時外国企業に独占されていた航路を取り戻すため郵便汽船三菱(当時は九十九商会)を設立しました。岩崎は近代的な経営手法や荷為替金融を取り入れ、外国海運会社と激しい競争を繰り広げます。その結果、欧米の海運企業は日本から撤退するようになりました。

しかし、今度は三菱が日本の海運を独占するようになり、反三菱の機運が高まります。そこで渋沢らが政府の出資を受け1882年に設立したのが共同運輸です。両社の競争は熾烈を極め、ダンピング料金の導入といった採算度外視の消耗戦に発展しました。現場でも激しくぶつかり合い、海上では互いに航路を譲らず衝突事故を起こすほどでした。

どちらも大きな資本を持っていただけに、この闘争は長く続くかと思われていました。しかし岩崎は胃がんを発症し、1885年に急死します。引き継いだ弟の彌之助(やのすけ)は事態の鎮静化に動き、共同運輸との合併を決断しました。

2つの大会社を統合して誕生した日本郵船は、その後積極的に航路を拡大していきます。海外航路はやはり列強によって独占状態にありましたが、日本郵船は果敢に挑戦し、世界有数の海運会社へ成長していきました。