・「お金を拾ったら犯罪者に…」一体何をした? 落とし物の“落とし穴”
1991年4月26日、自衛隊が初めて海外に派遣されました。現在では「国際平和協力法(PKO法)」などに基づいて自衛隊を海外に派遣できますが、同法の施行は1992年です。法的な根拠が乏しい中、なぜ日本は自衛隊を海外に派遣することになったのでしょうか。
「日本の船舶を守る」名目で自衛隊を派遣
1990年8月、イラクが突如としてクウェートに侵攻し、同国を制圧しました。アメリカをはじめ国際社会は一斉にイラクを非難し、クウェートを開放するため多国籍軍が結成され「湾岸戦争」が勃発します。日本も多国籍軍の後方支援として自衛隊の派遣を要請されました。
しかし日本は、武力行使を目的としない「海外派遣」は直ちに憲法に違反するわけではないとしながら、当時は自衛隊の海外派遣を根拠付ける法律がない状態でした。
このため日本は多国籍軍への参加を見送り、支援を資金援助にとどめます。総額130億円にも上る巨額な支援でしたが、先進国でありながら行動を伴わない日本の姿勢は国際的に厳しく非難されることになりました。こういった経緯で、国際貢献は経済的な支援では足りず、自衛隊を海外に派遣することが重要だという考えが政府内で強まったとみられています。
とはいえ法的な問題から、自衛隊を多国籍軍へ参加させることはできません。そこで日本は1991年4月24日、自国の船舶の安全を守るという名目で自衛隊のペルシャ湾派遣を閣議決定します。日本は中東からエネルギーを輸入しており、その輸送を担う船舶の安全確保のために機雷を掃海することは自衛隊法に反しないという整理でした。
決定の2日後に自衛隊はペルシャ湾へ派遣され、10月までに34個の機雷の除去に成功します。翌年には国際平和協力法(PKO法)が施行され、原則として武力行使の伴わない国際協力のためなら自衛隊の派遣が認められるようになりました。