楽しい電車旅が一転

優が珍しい車両に満足したあと、里奈たちは一旦駅を出ることにした。

時間的にも最後の休憩になるだろう。改札前まで来たところで、里奈は鞄から乗車券を取り出した。

「優も切符出して」

返事がない。振り向くと、優はリュックを腹に抱えてファスナーを開き、中をのぞき込んでいた。

「どうしたの?」

「ない」

「何が?」

「お財布」

里奈は一瞬、聞き間違えたのかと思った。だが優はカバンに手を突っ込み、底まで何度も探っている。

「違うところに入れたんじゃない? ポケットも見てみて」

優はズボンの左右のポケットを順に確かめた。里奈もリュックを受け取り、ハンカチや菓子の袋を取り出しながら中身を調べる。しかし、青い財布はどこにもなかった。

「さっきの売店で出してたよね。そのあと、どこに入れたの?」

「リュックに入れた」

「本当に?」

答えずに唇を噛む優の顔からは、先ほどまでの浮き立った表情が消えていた。

里奈は優の手を引いて改札から離れ、ホームへ戻った。2人が電車を降りてから歩いた場所をたどり、ベンチの下や柱の脇を確認する。だが、財布らしいものは見当たらない。

「最後に見たのはどこか覚えてる? 電車の中?」

「分かんない」

「でも、お菓子を買ったときは持ってたでしょう。そのあと出した?」

「分かんないよ」

絞り出すように言った次の瞬間、優はついに泣き出した。

「優……」

財布に入っていたのは、菓子を買った残りの小銭と子ども用の1日乗車券だけだ。金額だけを考えるなら大したことはない。それでも、優にとってはお気に入りの財布であり、初めて買った大切な旅の切符だった。

「ぼくのお財布、なくなった……切符も入ってるのに」

優はその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。周囲の人が何事かと目を向ける。里奈は深呼吸してから、優の前にしゃがんだ。

「泣いてても探せないよ。まず駅員さんに聞こう」

「見つかる?」

「分からない。でも、拾って届けてくれた人がいるかもしれないでしょう」

優はしゃくり上げながら顔を上げた。里奈はその手を握り、立たせる。

今日は何度も改札を出入りし、いくつものホームを歩き回った。財布を落とした正確な場所も分からない。先ほどまで乗っていた電車も、すでに先へ行ってしまっている。

(たぶん見つからないだろうな)

つい頭に浮かんだ悲観的な考えを追い払い、里奈は有人改札へと向かった。ちらりと振り返ると、繋いだ手の先で、優が肩を震わせていた。

●鉄道好きの息子・優と念願の日帰り電車旅を楽しんでいた里奈。しかし旅の終盤、1日乗車券を入れたお気に入りの財布が消え、優はホームで泣き崩れてしまう。落とした場所も電車も分からない中、里奈は途方に暮れるばかりだった…… 後編【「もう戻ってこないの?」大切な切符を失った鉄オタ息子に駅員がまさかの対応…母子に届いた連絡とは?】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。