半額うなぎの完全勝利
そして現在。スーパーの半額うなぎは、郁実の望んだ通り数子に衝撃を与えていた。
視線に気づいた数子は一度スプーンを置きかけたが、すぐにもう一口食べた。今度はさっきより大きめに頬張った。啓太がその様子を見て、こらえきれないように笑う。
「母さん、普通に食べてるじゃないか」
「だって、残すのは行儀が悪いでしょう」
数子はそっけなく返したが、その後もスプーンは止まらなかった。
郁実は自分のうな丼をひと口食べた。ふっくらした身と甘辛いタレが、疲れた体にゆっくり染みていく。黙々とうなぎを食べる数子を見ながら、郁実は心の中で小さく思った。
――勝った。
顔には出さないように気をつけていたが、自然と口角が上がる。香ばしい匂いに包まれた食卓で、郁実の胸には晴れやかな気持ちが広がっていた。
「まあ、食べられないことはないわね」
しばらくして数子は、誰に向けるでもなくそう言った。啓太が味噌汁の椀を置き、数子の丼をのぞき込む。
「そんなこと言って、今日はかなり食べてるじゃないか。最近、食欲がないとか言ってたのに」
「うるさいわね。残すのはもったいないからよ」
数子はすぐに言い返したが、その声には先ほどまでの勢いはない。仕事帰りで疲れていたし、数子の嫌味もこたえた。それでも手間をかけた甲斐は確かにあった。
さっきまでとは打って変わって数子は黙り込んでいた。半額品だと知って文句を言っていた手前、今さら褒めるのは悔しいのだろう。しかし丼はほとんど空で、美味しくなかったとは言えないはずだ。最後のひと切れを口に運ぶと、数子は少しだけ気まずそうに目を伏せた。
「お義母さん、うなぎはどうでした?」
「どうって……」
過剰に数子を責め立てるつもりはなかった。ただ、今日の出来事を何もなかったように流す気にもなれない。
「何か言うことありますよね」
数子はスプーンを置き、そっぽを向いた。啓太も母を見る。ダイニングに、短い沈黙が落ちた。
「……美味しかったわ」
ややあって数子は、蚊の鳴くような小さな声で言った。それから、ほんの少し間を置いて続ける。
「ごちそうさま」
「はい。お粗末さまでした」
郁実はにっこり笑ってそう返し、空になった丼を重ねて流しへ運んだ。
数子はまだ少し不満そうに口を結んでいたが、その前に置かれていた丼は、きれいに空になっていた。
「俺、洗い物するよ」
「いいよ。今日はお皿少ないし。お義母さんにお茶でも淹れてあげて」
「お茶くらい自分で淹れるわよ」
「まあまあ、そう言わずに」
蛇口から落ちる水音が、まだ甘辛いうなぎの香りが残る台所に響いていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
