弘美は健司と28歳のときに結婚をし、今年で26年目になる。

これだけ長くいると、自然と話すことはなくなる。健司がもともと不愛想で寡黙な男だというのもあるだろうが、娘の佐夜子が独り立ちして家を出て行ってからはもうほとんど会話がなくなっていた。

今日もいつものようにテレビのBGM音でこのまま黙って食事を終えるのだろうと思いながら、弘美がお茶を飲んでいると、珍しく健司から声をかけてきた。

「ちょっといいか?」

必ず健司はこの言葉を使って話しかけてくる。

「会社を辞めてきた」

健司が平然と言ってのけたことに弘美は固まる。

「……え? 何?」

「仕事を辞めてきたんだよ」

「……そうじゃなくて、何で? どうして仕事を辞めたのよ?」

「早期退職制度ってのがあってな、それを利用すると退職金が2倍もらえるんだ。応募をして、認められたんだよ」

「説明になってないし……何でもっと前から相談してくれなかったの?」

弘美がそう言うと、健司の眉間に深い皺が刻まれる。

「俺の人生だぞ。俺の好きにして何が悪い。それにこうして報告をしてるんだから問題ないだろ」

問題だらけだ。勝手なことをしてこっちの生活はどうなると思ってるんだ。数々の怒りがわき上がってきたが、弘美はぐっと歯を食いしばって呑み込んだ。