思わず母を怒鳴ってしまい……
「和栄、和栄……」
振り向くと、母がふらふらと立ち上がって、キッチンへ向かってきていた。
「ごはん、作るの、私がやるわよ」
子どもみたいに嬉しそうな顔をする母。和栄は慌てて母の前に立ちはだかる。
「お母さん、ありがとう。でも、今日は私が作るから大丈夫よ」
「いいのいいの、私がやるから」
「気持ちは嬉しいけど、私1人で大丈夫よ。だから……座っててくれる?」
「いやよ。私がつくるから」
優しく諭してみても、母はなかなか引き下がらない。むしろ和栄の腕をぐいぐいと押して、強引にキッチンに入ろうとしている。
「お母さん、向こうでテレビ見てきたら? ほら、お母さんの好きな俳優さんが出てるよ」
「いや!」
母が腕を振り払ったとき、和栄はつい反射的に声を荒げてしまった。
「お母さん!」
母はびくりと肩を震わせ、怯えたように和栄を見た。その顔を見た瞬間、胸がぎゅっと痛んだ。怒鳴るつもりなんてなかったのに。
「……もう、お願いだから、座っててよ……」
和栄は絞り出すように言った。
押し黙ったまま、微動だにせずキッチンに立ち尽くす母を前に、二の句が継げずにいたそのとき、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー」
気の抜けた息子の一樹の声が聞こえた途端、母はぱっと顔を上げて、嬉しそうに駆け寄った。
「おかえりなさい! 学校はどう? 楽しかった?」
「ばあちゃん、ただいま。うん、まあ、楽しかったよ」
「そう、良かったねえ。今日は何をして遊んだの?」
「あーえっと、今日はね……」
料理から関心を失ったらしい母は、一樹に話しかけている。もう成人式も終えている孫に「何をして遊んだの」はないだろうと思いながらも、和栄は胸を撫でおろすしかなかった。
●介護はそれでも続く。ある日の午後、日々の疲れからか和栄はつい、うたた寝をしてしまう。目を覚ますともう夕方。あたりを見回すとリビングのソファーでくつろいでいたはずの母の姿が見えなくなっていた。仕事から帰ってきた夫と共に家中探すも、どこにいるかはわからず……。後編:【失踪した認知症の母がいたのは…娘が思わず涙した母が覚えていた娘の好物】にて詳細をお届けする。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。