一面の窓の外には都内を一望できる夜景が広がっている。舌をかみそうな名前のワインと素材からこだわり抜いたフレンチのフルコース。一流ホテルのレストランで過ごすディナーとはこんなにも夢のような時間なのかと、夏子は恍惚(こうこつ)とした気分になる。目の前では、見るからに上等そうなスーツやウン百万はくだらないであろう高級時計を当たり前のように身に着けている高宮陸人が、上品な所作でグラスを掲げ、ワインで唇を湿らせる。
来年で30歳になる夏子よりも4つ年上なせいか、あるいは経済的な豊かさ由来なのか、陸人が醸し出す余裕には徹頭徹尾、完全無欠ともいえる品がある。学生時代から現在まで付き合っている同い年の彼氏である健太とは比べるまでもない。
「夏子さん、今日は時間を作ってくれてありがとう。それでね」
そういうと、陸人はテーブルの上に上品にラッピングされた長細い箱を置いた。計算したような十字で箱に巻き付いているリボンが、店内の柔らかな照明を受けてほんのりと輝く。
「あの、高宮さん。こんな高価なものいただけません」
「夏子さんに似合うと思ったんです。開けてみてください」
夏子の勤める会社の御曹司である陸人の声には、他人に有無を言わせないような力強さがある。夏子は言われるまま、箱を手に取ってリボンをほどいていった。
「わぁ……すごくかわいい」
思わず声が漏れ、ほのかにジャズが聞こえる静かで穏やかな店内に似つかわしくない振る舞いをしてしまったと恥ずかしくなる。しかし陸人はうれしそうに、目元にしわを寄せてほほ笑んでいる。
「ルビーは夏子さんの誕生石でしょう? 前に言ってたから、探してみたんです。ほら、つけてみて」
そう言って立ち上がった陸人は箱に収まっていたネックレスを持って夏子の後ろへと回り、首につけてくれる。案外指先は不器用なのか、思いのほか時間がかかったせいで、夏子は陸人の体温を背中越しに感じていた。
「やっぱり。すごく似合ってる」
陸人がそう言って指さす夜景に彩られた窓には、胸に紅を煌(きら)めかせる自分がうっすらと映っている。たったひとつのアクセサリーを身に着けるだけでこんなにも見違えた自分がいることに、夏子は驚いたまま言葉を失った。
「夏子さん、よかったら僕と、お付き合いしてもらえませんか。必ず幸せにすると誓うよ」
甘く響いた陸人の声が夏子のみみたぶを優しく打った。それを引き金としてあふれる感情を抑えようとして、夏子は手で口元を覆った。
こんな夢のような時間の終わりに、こんな素晴らしいことがあってもいいのだろうか。
きっと陸人は、これまでの人生で夏子が知らなかったことや経験することのなかったものをたくさん見せてくれるだろう。陸人と2人で過ごす時間はとびきりにすてきで、刺激的で、かけがえのない時間になるに違いない。
「……私で、いいんですか?」
「夏子さんがいいんです。いや、夏子さんじゃなきゃ駄目なんです」
8年も付き合っていまだに結婚に煮え切らない健太のことなど忘れ去って、夏子は陸人に向かってうなずいた。