この連載では、新NISAをキッカケに、多くの国民が取り組みはじめた資産形成について、金融の歴史から見つめ直し、その先の資産運用の未来像を描いていきたい。
過去(歴史)と現在、そして未来を結びつけるなど、大げさなもの言いかもしれない。だが、ここ数十年の金融市場の足取りからは推し量れないほどのスピードで、現在の運用環境が変化しているだけに、タイムホライズンを拡張すべきと考えている。大きな変化の行く先についてイメージするならば、より長期の視点から今後の動向を見晴らすのは、少なからず意味があるだろう。
35年にわたり金融市場の片隅で資産運用に取り組んできた筆者にとっても、改めて資産形成という視点から、金融史を確認するのは大きな意義がある。驚くべきチェンジに直面した際、金融史の事例を、その共通点と相違点に区分して探ることで得られる気づきがあるはずだからだ。
金融史を紐解く三つのアプローチ
それでは、金融の歴史を探るには、どのようにアプローチしたらよいのか。概ね次の三つの関係の歴史を通していくと、金融史の実像を捉えやすいのではないか。「カネとモノの関係史」、「カネとカネの関係史」、「カネと金融資産の関係史」の三つである。
第一に、「カネとモノの関係史」とは、貨幣と実物経済との関係の歴史である。物価は、貨幣を基準に計測されるため、カネとモノの関係史とは、貨幣と表裏一体の物価の関係を遡ると言い換えてもよい。総じて物価の上昇は、貨幣価値の下落を意味し、物価の下落は貨幣価値の上昇を意味する。それぞれは、金利とインフレ率という指標を基準に語られるため、マイナス金利の解除や消費者物価指数の上昇という現象も、カネとモノの関係史という視点から見直せよう。
第二に、「カネとカネの関係史」とは、各地域・国家の通貨間の関係の歴史である。ある経済圏で支配的に流通する貨幣は、支配的な貿易決済通貨として国際通貨システムを形成する。この経緯を辿るのは、各通貨の相対的位置付けの歴史の探求でもある。為替レートの変動が、その指標となるため、円安や暗号資産の変動という現象も、カネとカネの関係史という角度から再考できるのである。
第三に、「カネと金融資産の関係史」とは、貨幣と株式・債券(金銭貸借)などの有価証券および不動産との関係の歴史である。この関係性は、様々な利回りという尺度により計測することが可能だ。たとえば、短期金利で計測される貨幣、益回りもしくは配当利回りで計測される株式、利回り(スプレッド)で表現される債券(金銭貸借・不動産投資)という具合に、それぞれの価値を比較できるという特徴がある。この連載では、3つの視点を意識しつつも、特に三番目の金融資産の運用が、歴史的にどのように行われてきたのかという点にスポットライトを当てて、紐解きたい。
金融史を資産運用の視点から見る
主要国に暮らす多くの人々は、ある程度まとまった資産を形成するようになったため、資産運用についての関心が高まっている。歴史を翻ってみると、これほどまでに多くの人々が富を保有するようになったことはない。富は、ほんの一握りの人に集中し、富が広く薄く行き渡らなかったからである。
確かに、1970年前後を境に、主要国内での格差は広がっているものの、一定程度の金融資産を保有している層の多さは、歴史的にも例がない。これまでの歴史の大部分において、富は、ほんの一握りの権力者か、その周辺の超富裕層にしか存在していなかったのである。それだけに、20世紀以降に生じた資産運用人口の拡大は、特権階級にだけ必要とされてきた金融の知識を、一般大衆にまで拡げていくニーズを盛り上げている。
しかし、多くの人たちは、金融史についての認識は浅く、資産運用がどのように金融史の文脈の中で発展してきたのかという、いわゆる「縦の線」が描けていないのが実情である。この縦の線が描けずに、いくら金融知識を学んだところで、その活用の時機を間違えてしまえば、宝の持ち腐れになる。わが国では、2024年4月に「金融経済教育推進機構」が設立されたが、金融または経済に関する知識を習得するだけでなく、資産運用の視点から金融の歴史を紐解く必要があるのではないか。
古バビロニアの資産運用
ところで、資産運用の歴史は古く、今から4000年前の古バビロニア、古アッシリア時代にも、他人の富を預り、管理する人々が活躍していた。資産運用業は、欧州や英米が台頭した最近の数百年間に限られたものではなく、古代にもその原型が存在したのである。そのため、まさに人類の歴史は、資産運用の歴史であると言ってもよいだろう。
当時の地域社会内では、商業活動に一定程度の制約が課せられていたものの、遠隔地との交易では、現代のグローバル企業と同じように、企業家としての交易商人たちが自由に活躍していた。古バビロニアの商人たちは、バビロニアとアナトリア(現トルコ近辺)との交易を引き受け、売買により私的利益を積み上げていただけに、現代でいう富裕層でもあった。
彼らに限らず、一部の個人が私的利益を蓄積してくると、徐々に余剰資金を効率的に運用し、資産を保全するというニーズが発生する。そこで、交易商人たちは,「自己資金とは別に個人投資家から委託された銀を資本の一部として運用[1]」するなどの活動にも手を広げるようになったのである。
交易商人たちは、金銀の交換比率が地域により異なることに着目し、裁定取引を実行したのである。これは、「カネとカネの関係」に目を付けた資産運用の一つと言えよう。金や銀といった金属貨幣は、カネとしての決済機能も備えているケースが多かったからである。金に対して銀が過大評価されている地域では、商品の購入代金を銀で支払い、販売代金は金で受け取る。一方、銀に対して金が過大評価されている地域では、購入代金を金で支払い、販売代金は銀で受け取れば、その金銀の評価額を手に入れることができたわけである。実際に交易に従事せずとも貯えがある人々は、商人に金銀を託して、「地理的な相対価値の裁定」利益を得ていたのである。このような市場原理に基づいた金融取引は、顧客資金を受託して運用する現代のヘッジファンドなどと、ほとんど変わらないと言ってよい。
政府介入の及ばない世界で生まれた資産運用の原点
ここで注目したいのは、権力を保有していた王室や役人ではなく、その権力の及ばない自由人である商人たちが、他人からの運用委託を受けていたという点である。資産運用ビジネスは、規制や統制の世界とは程遠い、自由な市場取引の現場から叢生しているわけである。
王室や役人といった位置づけは、現代における「政府」と言い換えてもよい。政府は、その権限の及ぶ範囲には、価値観の多様性を排除して、世の中の安定化を図ろうとするはず。例えば、度量衡を統一し、通貨を定めることにより、表面的な安定を図るために、市場に介入する。この権力が信認を保っている限りにおいては、モノやカネの評価に対する疑念は生ぜずに混乱は発生せずに、安定が保たれる。
ところが、このような状況下では、資産運用のダイナミズムは、働きにくい。統一的な価値観と、評価の安定化は、超過収益を生み出さないからである。古バビロニアにおける資産運用が、地域内のインナー・サークルではなく、遠隔地間のインター・サークルに拠点を構える交易商人たちにより発生した理由もここにある。この資産運用の原点ともいうべき構図は、現代の資産運用の「あるべき姿」をも示しているのではないか。
古バビロニアの資産運用ビジネスの原点に立ち返ったとき、われわれは、多様な価値観が共存する空間軸と、その変動を許容する時間軸が存在することの重要性を再認識するはず。この多様性と変動性という二つのキーワードは、資産運用が発展する上で必要不可欠なポイントであると言える。
わが国では、長きにわたり政府・日本銀行によるイールドカーブ・コントロールや株価指数連動型上場投資信託(ETF)の購入といった箍(たが)が、金融市場に嵌められてきた。しかし、2024年春には歪んだ政策の終焉が決定され、その桎梏からの解放が宣言された。その意味では、資産運用の胎動が本格化するスタートラインに立てたとポジティブに捉え得るかもしれない。
[1] 前田徹・川崎康司・山田雅道・小野哲・山田重郎・鵜木元尋(2000)『歴史学の現在 古代オリエント』山川出版社、64頁。
本連載の2回目以降はfinasee Pro(フィナシープロ)でご覧になれます。
平山 賢一
ひらやま・けんいち
東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト
1966年生まれ。資産運用会社を経て、1997年東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)に入社。2001年東京海上アセットマネジメントに転籍、チーフファンドマネージャー、執行役員運用本部長を務め、2022年より現職。メディア出演のほか、レポート・著書などを多数執筆。主著に『戦前・戦時期の金融市場 1940年代化する国債・株式マーケット』(日本経済新聞出版)、『物価変動の未来』(東峰書房)などがある。『ハートで感じる資産形成』シリーズなど、YouTubeでの発信にも取り組む。
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