結婚と離婚

山口さんは23歳で、高校2年の頃から交際していた1つ年上の先輩と結婚。

同じ年に第一子を妊娠すると、ひどいつわりから脱水症状を起こし、3カ月入院。退院するも、寝たきりの生活が続いた。

ところが夫は会社の後輩とパチンコやビリヤードなどにのめり込む。

第一子出産に夫は立ち会ったが、家事育児を全く手伝わない。5年後に長女を出産する時も立ち会ったが、やはり子どもと積極的に関わろうとはしなかった。

結婚6年後、山口さんの父親の形見分けで山口さん名義になっている実家の隣の土地に、山口さんの母親のすすめで家を建てた。家が完成すると、山口さんの母親が毎日のように入り浸るようになったが、夫はますます家に帰ってこなくなった。

結婚して10年目。急死した義父の通夜・葬儀に山口さんが夫と子どもたち参列すると、夫のマザコンぶりが露見。長男が7歳、長女が2歳の頃、大きな地震があった時も、夫は子どもより自分の母親の心配ばかり。

子どもの登校時間に平然と朝帰りをするようになると、山口さんは離婚を切り出す。すると夫は、「改心する。ギャンブルもやめる。子どもとも遊ぶ。だから離婚しないでほしい。仮面夫婦でもいい。おふくろが悲しむ姿を見たくない!」と食い下がる。

それから8カ月ほどたった頃、「慰謝料はいらないからとにかく離婚して!」と山口さんが言うと、夫は手のひらを返したように離婚を受け入れ、「俺には子育ては無理。お前が育てて」と言い放った。

離婚後の生活

離婚が決まると、約4年前に建てたばかりの家は売却することになった。

母親との同居を避けたかった山口さんは、古い小さなアパートを借りて、親子3人で暮らし始めた。ところが、持ち家を売却したところ、母子家庭が受けられるはずの児童扶養手当が止められてしまう。

山口さんは、結婚を機に金融系の会社を退職し、父親が亡くなった後、母親が経営する会社を継ぐために戻ってきていた兄に誘われ、母親の会社を手伝っていた。

実家に戻れば仕事とプライベート、24時間365日母と一緒で、一生母の奴隷として生きることが確定し、精神が崩壊することは明らか。どうしても母親との同居を避けたかった山口さんは、母親の会社の仕事の他に、母親には内緒で日払いの夜のアルバイトを始めた。