経営危機に陥った1990年代 なにがあった?
東急は1990年に「東急アクションプラン21」を発表し、大規模な投資に打って出ます。しかし1997年に北海道拓殖銀行や山一證券が破綻すると強い信用収縮が起こり、大型投資を実施していた東急の業績は悪化し、1999年3月期には約280億円の最終赤字に転落しました。さらにグループ全体で退職給付に約700億円の積立不足が生じたことから、2001年3月期には再び300億円を超える大型の純損失が生じます。
【東急の当時の純利益(1997年3月期~2001年3月期)】
・1997年3月期:308億円
・1998年3月期:22億円
・1999年3月期:-279億円
・2000年3月期:18億円
・2001年3月期:-302億円
出所:東急 決算説明資料
東急はグループ企業および事業の再編を進め、業績は回復に向かいます。土地などの評価損を前倒しして減損処理したことで2004年3月期には再び純損失を計上しますが、翌期からコロナショックに見舞われるまで16期連続で黒字を確保しました。
【東急の純利益の推移(2001年3月期~2023年3月期)】