土地価格の高騰に対する国の対処
太郎:そんなに土地の値段が上がったら、普通の人が買えなくなって困らないかな?
――そのとおりだ。普通の人が手の届かないような土地価格になってしまったので、日銀は1989年から今度は公定歩合を引き上げていき、1990年には、公定歩合を6%にした。
さらに、大蔵省(現・財務省)は、1990年3月27日、各金融機関に対し、不動産業向け融資の伸び率を、総貸出の伸び率の範囲内に抑えるようにという行政指導を行った。
つまり、土地購入のための貸出量を抑えようとした。これらの施策の結果、土地の価格は急激に下がっていき、バブル景気は終わりを告げた。
太郎:株も不動産も、みんな「価格が上がるだろう」という予測のもとにお金を借りて購入してたんだよね。いざとなったら売ってお金に換えれば返済にあてられると。でも、こうして価格が下がってしまったら、借金を返済できなくなるんじゃないかな。
――株価と不動産価格が暴落したせいで、貸したお金が返ってこない状況が発生してしまった。銀行等の金融機関にとっては致命的だ。返済されなかったり、返済が遅れたりする債権のことを不良債権と言うんだが、バブル崩壊によってこの不良債権が大量に発生した。
ただ、金融機関は、返済不能になって潰れそうな会社へお金を貸して延命させたり、子会社に損失を付け替えることによって、不良債権問題が表面化しないようにした。そうやってその場しのぎをしていればいつか景気が回復し、お金をちゃんと返せる状態に戻ると思ったんだろうな。
ところが、そういうその場しのぎが限界を迎えたのが、1997年11月だった。この3日に準大手証券会社の三洋証券、同月17日に北海道拓殖銀行、その1週間後に四大証券会社の一角だった山一證券が次々と破綻していった。
金融機関はお互いに借金をして資金を融通し合っているから、1つ潰れるだけでも大変なことになるんだけど、それが一気に3つも潰れてしまった。この混乱は翌1998年も続き、同年10月23日には日本長期信用銀行が、同年12月13日には日本債券信用銀行が破綻した。いずれも名門といわれる日本を代表するような銀行(金融機関)だった。
それ以外にもたくさん破綻している。こうやって金融機関が次々に破綻してお金が回らなくなる状況を金融危機と言う。次はこの時期の数字について追ってみよう。
●第3回(金融危機、経済停滞への一途…日本中を震撼させたその時“データ”はどう動いたのか)では、金融危機時の銀行の破綻数や賃金と物価のピークについて解説します。
『データで見る日本経済の現在地 働くときに知っておきたい「自分ごと」のお金の話』
明石順平 著
発行所 大和書房
定価 1,760円(税込)