人生100年時代における「50歳」は、折り返し地点でもある重要なタイミング。結婚や仕事、育児で悩んでいた20代、30代の頃と異なる不安や心配が出てくるものです。
仕事人生の後半戦ならではの不安や悩みに、働く人々のアドバイザー的存在として書籍や雑誌で執筆活動を行う有川真由美氏が寄り添います。話題の書籍『50歳から花開く人、50歳で止まる人』では、人生後半で様々な不安から解放されて前向きに生きていくための知恵について解説しています。今回は、本書第1章『50歳からは「自分優先」で生きていく』の一部を特別に公開します。(全3回)
※本稿は、有川真由美著『50歳から花開く人、50歳で止まる人』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
「会社がなくなるのが怖い」という不安でいっぱいですか?
私の話を少しさせてください。
「働けば働くほど、不幸になっていくのではないか」
かつて会社員として過酷な働き方をしていたとき、そう思っていました。がんばるほど心と体が壊れていく。稼いだお金を使う暇も、友人や家族と過ごす暇もない……。それでも辞められなかったのは、せっかく入った会社を辞めるのは「負け」「逃げ」だと思っていたから。いえ、正直にいうと、会社の名前がなくなって、まわりに「なんでもない人」「残念な人」と下に見られるのが怖かったからです。
ついに体がボロボロになって会社を辞め、半年後に再就職活動を始めたとき、これまでの経歴がなんの役にも立たないことに愕然(がくぜん)としました。社内では表彰され、とんとん拍子に昇進したのに、会社の外ではただの人。
「私はこれができます」と胸を張れるものがなにもなかったのです。それから、さまざまな仕事をしました。ブライダル会社にいたとき、カメラマンとしてのスキルを身につけてフリーで活動したあと、嘱託社員として新聞社に就職。
定年まで働くつもりで、ゆったり構えていたら、法律が変わったことから、突然、契約を切られることになりました。
40歳手前。定年が20年、早まったようなものでした。
そのころは、毎日寝る前に「ほんとうのところ、どうしたいの?」と問い続けていました。ある朝、カメラを抱えて海外を取材する自分の姿が浮かんできた途端、動き出さずにはいられなくなり、数カ月後にはそれを実行していました。
最初からうまくいったわけではありません。世界を放浪したあとは、横浜で風呂ナシの離れを借りて、日雇いのアルバイトをしながら、細々と週刊誌で発表していたこともありました。
でも、自分の行きたい道を行けるところまで行ってみようとする旅路は、どこを切り取っても「楽しかった」「幸せだった」と思うのです。
私の話を読んで、「一歩踏み出すのは、若いからできること」と思われるでしょうか。「たまたま運がよかったから、うまくいった」と思いますか。
たしかに、年齢や人との出逢いは大きく関係していますが、50歳、60歳で放り出されても、私はなにかしら、やれることを見つけていくでしょう。さらに増えた知恵と人間関係などの資源を生かして、それはそれで面白い旅になると思うのです。