ITブームに乗り「カリスマファンドマネジャー」と称賛も、募る自身の嫌悪感

野村投資顧問を辞めた後、ジャーディン・フレミング投信投資顧問(現JPモルガン・アセット・マネジメント)とゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントという、2つの外資系資産運用会社で働きました。

外資系運用会社に移籍した時、まず感じたのは、ずっと自分に圧し掛かっていた重石が外れ、身も心も軽くなったことです。つくづく私は、日系企業に合っていませんでした。外資系企業の場合、責任の所在が明確であることに加え、意志決定が非常に速く、かつシンプルであること。成功に向かって一直線にひた走る感じがあり、しっかり情報が共有され、かつ成果主義が徹底されています。

それがストレスに感じる人ももちろんいるでしょう。外資系企業は運用会社に限らず、生存競争が厳しいのも事実です。でも、それが自分に合っていたのです。その結果、ストレスが非常に減る一方、収入はかなり増えました。もともと外資系企業に移籍した一番の理由は、自分が起業するのに必要な資金を作ることだったので、好都合だったと言えます。

ジャーディン・フレミング投信投資顧問でファンドマネジャーを務めていた頃、インターネットが民間で普及し、ITブームが到来しました。その流れに乗って、私の運用するファンドは短期間で基準価額が5倍になるなど、非常に高いパフォーマンスを上げることがました。

それによって、他のファンドマネジャーと共に「カリスマファンドマネジャー」などと言われた時期もありましたが、この呼ばれ方には嫌悪感しかなかったのも事実です。実際、地方でセミナーなどに行くと、変な形で私を神格化する人がいて、握手を求められてそれに応じると、「もう一生、手を洗えない」と言われたり、壇上から降りて歩き出すと、平気で身体を触ってくる人たちがいたりしたのです。その場で怒るわけにもいきませんが、これには物凄い違和感がありました。

正直、自分はカリスマでも何でもないことを分かっているからこそ、必死に努力するのです。あらゆるリスクを考え、状況をよく分析したうえで投資対象を厳選したからこそ、その結果として、高い運用実績が実現できるのです。逆説的ではありますが、自分がカリスマではないことを認識しているからこそ、カリスマ的な運用実績を残すことができると、その当時は思っていて、だからこそカリスマファンドマネジャーと呼ばれるところから、逃げたくて仕方がありませんでした。

ジャーディン・フレミング投信投資顧問で非常に高いパフォーマンスを上げたファンドマネジャーとして、名前が広まり始めた矢先に、いきなりゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに移籍しました。カリスマファンドマネジャーから逃れ、またゼロからスタートさせたいという気持ちと、起業するためにもう少し資金を作りたいという考えもあったなかでの決断でした。

取材・文/鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)