コロナ禍の影響もあり、自身の働き方について見直している人は多いはず。

葉山と箱根を拠点に世界中を旅しながら、好きな仕事をする――多くの人が憧れる“理想の働き方”を体現している、LUMIERE(ルミエール)代表取締役・長谷川エレナ朋美氏は「クリエイティブに働く」ことこそが理想の働き方、ひいては理想の暮らしを叶えるためのカギだと言います。

では、長谷川氏は実際にどんなマインドでどのように行動してきたのでしょうか。その秘訣が『一生お金に困らないクリエイティブな働き方』(廣済堂出版)に綴られています。今回は特別にその一部を公開します(全4回)。

※本稿は長谷川エレナ朋美『一生お金に困らないクリエイティブな働き方』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。

私が理想の暮らしを手に入れられたわけ

あなたは、「クリエイティブに働く」と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか? なんとなくアーティストっぽい? 特別な才能がないとできないこと? なかには、「会社員だから自分には関係ない」と思われる方もいるかもしれませんね。でも、自分には関係ないという考え方は危険です。

これからの時代はどんな職種や職業の方でもクリエイティブに働くことが欠かせなくなると私は思っています。なぜなら、今この時代は変化が絶えず、自分をしっかりと持つことと、新しいものを生み出す力が何よりも大切になるからです。

私は現在、好きな仕事だけをして、理想にかぎりなく近い暮らしをしています。私の主な仕事は作家業に加え、3つの資格制度やオンラインショップの運営、発信やメディア出演、イベント開催、オンラインサロン運営、商品のプロデュース業など多岐にわたります。

そして葉山に自宅、箱根には別荘、外車に乗っている……そんな私のライフスタイルを紹介するテレビの効果もあってか、一部の方からは「セレブ」というイメージを抱いていただいてもいるようです。

しかし、それは今だからこそ。もともとは千葉県銚子市という田舎の出身ですし、実家が裕福だったり、両親が経営者だったりするわけでもなく、ごく普通のサラリーマンの共働き家庭に育ちました。つまり、もとからお嬢様でコネがあったということもなければ、経営のノウハウを自然と学べるといった環境でもなく、いわゆる「お金持ち」「好きな仕事で生きる」とはかけ離れた境遇でした。

中学・高校時代も銚子で田舎暮らしをする中、当時流行していたSHIBUYA109の「カリスマショップ店員」に憧れていた私。やがて、親の反対を押し切って高校を中退し、100倍を超える倍率を突破して憧れの109で働くようになります。

109で働いていた当時の私は、雑誌の読者モデルとして、またカリスマ店員としてメディアに出演していたこともあり、表向きの生活はとても華やかだったと思います。しかし、実際には東京と千葉の間にある小さなアパートを友人とシェアしていました(マンションでさえありませんでした)。都心部で部屋を借りるなんて、夢のまた夢でした。あまり治安がよくない地域だったこともあり、危ない目にあったこともあります。

そんな郊外から満員電車に1時間も揺られて渋谷へ通勤し、ランチ代は毎日300円と決めていて、120円のパン1個と、130円の飲むヨーグルトがお決まりのランチセットでした。しかも、飲むヨーグルトを選んでいたのも「腹持ちするから」であり、美容のためとかそういう理由ではなかったのです(お腹がぽっこりしなくていいというメリットはありましたが)。

そんな環境だったのでもちろん外食なんてほとんどせず、毎日が自炊。そして、ブロッコリーの芯を見ながら「これをどうやってアレンジするか……」と考える日々でした。有名なテレビ番組で、お金がないながらも夢を追う女子の姿を取材したものがありますが、当時の私はまさにそんな感じ。先日、たまたまその番組を見ていたときには過去の自分を見ているような気がしました。

ギャル友達には意外にも実家が裕福な子が多く、そういった子とも普通に仲よくはしていたものの、心の底からわかり合えてはいませんでした。また、当時の彼が家に遊びにきたときには、ふだん見せている自分とのギャップにものすごくびっくりされたものです。

少し前置きが長くなりましたが、そんな境遇だった私が今のように心から好きな仕事だけをして過去の自分が理想としていた生活を送れるようになったのは、カリスマ店員と呼ばれていた10代の頃から「クリエイティブに働く」ということを実践してきたからです。