証券業界を震撼させた1997年。勤め先の山一證券が倒産
しかし、この間に時代の流れは大きく変わっていきました。1990年になって、日銀はいよいよ利上げを本格的に行い、バブルの元凶とも言える不動産価格の高騰を抑えるべく、大蔵省(現在の財務省)が不動産融資総量規制を行ったのです。これによって地価や株価は暴落し、景気が一気に冷え込みました。企業の倒産も相次ぎ、こうした企業に貸し込んでいた銀行は、多額の不良債権を抱えることになったのです。
加えて、証券業界を揺るがす大事件も起こりました。1991年に取引の損失を事後に穴埋めする損失補填問題が浮上。それがようやく落ち着いたかと思ったら、1997年には日本中を騒がせた総会屋利益供与事件が起こりました。1997年という年は、当時を知っている証券関係者にとって、特に記憶に刻まれた1年だったと思います。
総会屋への利益供与事件では、第一勧業銀行をはじめとして当時の4大証券会社を合わせて32人の逮捕者を出しました。さらに株式市場の低迷が続くなか、11月3日には三洋証券が会社更生法を申請。事実上の倒産となりました。
11月17日には北海道拓殖銀行が経営破綻。そして私や、他の山一證券関係者にとって運命となった11月21日、日経テレコムオンラインに「山一證券、自主廃業へ」という速報が流れました。社会人になって13年目にして、自分が働いている職場が倒産するという事態に直面したのです。
取材・文/鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)