「非生産運用立国・日本」に陥っている要因は何か
筆者は『捨て銀2』に「悲産運用」というタイトルをつけた。
日本の資産運用の歴史を「資産運用に非ず」であるという意味合いと「成長可能性のある家計金融資産を有効活用できない悲惨さ」を掛け合わせた筆者の造語である。
その一例を示そう。日本では、企業年金の運用担当者を信じ難いことに資産運用の素人が務めている。財務・経理の経歴があればまだマシな方だ。まったく金融の経験もない人物が担当者に据えられるのだ。ある大企業は、ファンド数で数十以上、総額数百億円にも及ぶ巨額な資金をたった1人の素人に任せている。
運用担当者に就いて、慌てて信託銀行が主催する年金資産運用の基礎講座を受講して、一から勉強を始める。従業員のかげがえのない数百億円に上る年金資産の運用をこうした還暦前後の素人に平気で委ねているのだ。経営も労働組合も問題提起すらしない。資産運用に対する圧倒的な勉強不足があるためだ。
自身が素人であることを認識し、委託先の運用機関を取りまとめる総幹事会社(生命保険会社や信託銀行)に任せれば、愚かな投資による大事故はひとまず避けられよう。ただ、実態は運用パフォーマンスが高くない生保や信託銀行のいいなりになっていただけだ。言いなりになるしかない素人担当者に生保や信託銀行の運用力の技量が問えるはずもない。
こうした素人任せのツケは長期の運用成果の差となって表れる。
たとえば大学の基金では、米ハーバード大の大学基金は資産運用によって、2000年頃から急激に運用資産を増大させ、7兆円規模となっている。これに対し、慶應義塾大はわずか1千億円程度に過ぎない。これでは、研究で日本の大学が劣後するのも当然だ。運用益で「国際卓越研究大学」を支援する大学ファンドは、こうした問題意識から始まった。
「総幹事社がしっかりやってくれるはず」「監督官庁がしっかりやってくれるはず」という他人任せの「はず」という甘えの構図から抜け出せなければ、資産運用立国はおぼつかないだろう。
1998年の投信窓販解禁が非産運用の「夜明け」だった
どうして日本では、資産運用がこれほどまでに軽んじられるのか。その「夜明け」は1998年の金融機関における投信の窓販解禁にさかのぼる。
この年、フリー、フェア、グローバルの3原則を掲げた「日本版金融ビッグバン」の一環として、銀行窓口で投信が販売できるようになった。しかし、ここで決定的なボタンの掛け違いが生じてしまった。
当時、不良債権処理で利益のねん出に苦しんでいた銀行が、販売手数料の高い投信を顧客に売りつけ、しかも、営業トークによって短いサイクルで売り買いさせ、顧客資産を収奪する行動に走ることを許してしまったのだ。結果論として、「国民資産の収奪」によって銀行の損失を穴埋めするという大罪を犯してしまった。
当時はゼロ金利政策の導入前でもあり、銀行には「稼ぐ方策」はいくらでも残されていた。よって、さすがに最強官庁と呼ばれた大蔵省(現財務省、金融庁)といえども「不良債権処理の穴埋めに活用すれば良い」という陰謀論があったとまでは言えないだろう。
しかし、当時の大蔵省は、不祥事と組織解体論で揺れており、「理想の資産運用業界」を構想する力は残されていなかった。金融商品販売法でしか整備できず、中途半端な行政対応に終わってしまった。
結果として顧客利益を最優先とする「フィデューシャリー・デューティー」の視点が欠落したまま、投信窓販が解禁されるという不幸が重なってしまった。到来したのは販社天国の時代だ。
販社天国のもとで「ゾンビ投信」がはびこることに
メガバンクを筆頭に販売会社(販社)の力は強大となった。販社が運用会社を傘下に持つという利益相反も「ワンストップサービス」という触れ込みで問題視されず、運用会社のトップや主要ポストには、当たり前のように販社から運用経験のない素人の幹部が歴代送りこまれた。
結果、「運用会社は販社に売ってもらうことで養ってもらっている」といういびつな構図が生じた。運用会社は、顧客利益に資する商品ではなく、「販社が売りやすい商品」、「販社がもうかる手数料の高い商品」を優先的につくらされるようになった。
株価指数に連動するインデックス運用でも「運用会社の弱さ」が顕著にうかがえる。
東証は東証株価指数(TOPIX)を算出している。他方、以前から東証に上場する企業には上場に値しない企業の存在も指摘されてきた。「取引所として上場企業数を増やしたい」というインセンティブがある東証が退場のメカニズムを正常に働かせなければ、明らかに成長しない企業が指数に組み込まれてしまう。こうした成長しない指数は、インデックス運用の対象にすべきではない。そもそも取引所である東証が指数をつくること自体、そもそも利益相反の疑いがある。
実は、TOPIXよりもパフォーマンスが良い指数は存在す。ある運用会社に「なぜ、よりパフォーマンスの良い指数に連動したインデックス投信を開発しないのか」と質問したところ、運用会社の幹部は次のように答えた。「『NHKのニュースでも日経平均株価とTOPIXしか報じない。だからそんな指数は誰も知らないから売れない』という販売会社の『売るため』の判断です」。
顧客利益のために商品があるのではないことは明瞭だ。販社のために商品はつくられてきたのだ。だからこそ、日本の公募投信は2005年ごろから急増し、3千本前後から2倍の6千本近くまで拡大した。1本当たりの残高は低迷したままにもかかわらず。大半が10億円未満の「ゾンビ投信」であり「効率的運用に必要な運用規模(純資産額)」を確保できていない(金融庁の資産運用業高度化プログレスレポート2023)のが実態だ。これが日本の販社天国なのである。
ちなみに米国(ミューチュアルファンド)は2000年代から8千本前後で安定して推移しているが、1本当たりの平均残高はうなぎ登りで、3千億円に達している。ファンドが力強く育っているのが分かる。