顧客利益軽視の商品、販売、 運用の全てを駆逐する
販売チャネルの違いも大きかった。
日本証券業協会の2015年調査では、投信の購入先の1位が証券会社の44%、銀行などが43%、ネット購入が16%に過ぎなかった。
米国では、確定拠出年金(DC)プランが80%、DC以外では、証券会社が27%、独立系ファイナンシャルプランナーが22%、投信会社の直販が19%、銀行、その他金融機関17%(複数回答、2015年調査)と、確定拠出年金プラン が突出していたが、あとは多様化して いた。日本が窓販解禁だけで、いかに企業年金改革、販売チャネルの多様化を怠ってきたのかがうかがえる。
日本の売れ筋は大半が毎月分配型投信だった。
2016年3月までの過去5年間の純増ベースの売れ筋上位5位では、計25本中、なんと23本が毎月分配型であった。明らかに異常である。しかも金融庁のアンケートでは、毎月分配型が元本を取り崩して分配することもあると理解している顧客はわずか37%であった。
つまり、販社が顧客の無知につけ込み、「売りやすい商品」、金融機関に「都合の良い商品」を顧客に売りつけていたのは明白であった。
森信親長官がこうした商品、販売、運用の「非産運用」を厳しく糾弾した結果、続々と書籍やコラム、YouTubeの関連 動画で「銀行で投信を買うな。ネット 証券で買うべき」という論調が湧き起こった。
これに連動し、投信ブロガーの存在 感が大きくなった。彼らが支持した三菱UFJアセットマネジメント(旧三菱 UFJ国際投信)の「eMAXIS Slim米国株式(S&P500)」、「eMAXIS Slim全世界株式(オール・カントリー)」が運用残高を指数関数的に拡大させた。
「業界最低水準の運用コストを将来にわたって目指す 」と宣言したeMAXIS Slimを代表するこの2商品が、つみたてNISAの導入された2018年と同年に投入されたことの意味は重大だ。 非産運用な販社、運用会社、長期の資産形成につながらない商品を駆逐していく「つみたてNISA」と、最も親和性があったからだ。
これは長年にわたり、顧客利益を最優先としてこなかった販社が招いた因果応報でもある。販社が資産運用のあ り方を決めてきた時代がついに崩れ始めたのだ。
顧客利益を最優先とする商品が圧倒的に支持を集め、その破壊的な影響力が投資行動のみならず、金融機関のあり方をも変えていく。今年1月から始まった新NISAは、日本がいまだ経験したことのない金融業界の変化をもたらすのだ。
官邸人事も巻き込んだ GPIFの運用見直し
資産運用改革の象徴となったのが、年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF)の運用見直しであった。
GPIFは、納付された年金保険料のうち、支払いに充てられなかった年金積立金を将来世代のために、国内外の資本市場で運用している。
2014年以前は、国内債券を中心に運用していたため、パフォーマンスは低調であった。これを国内外の株式運用への比重を拡大させる方向へ転換した。
メディアからはリスクある運用に対して批判も生じたが、長期で運用する場合、リスクが平準化されるため、むしろ株式投資を軸に運用するのが資産運用の常識であった。この運用見直しの舞台裏でも森氏は、GPIFの人事について官邸に重要な意見具申をしていた。
運用見直しの結果、2015年度の運用資産額134兆7475億円は、2023年度第2四半期末では219兆3177億円に増えている。
実に84兆5702億円も年金原資を拡大させたのである。これは債券中心の運用では決して実現しなかった。年間56 兆円にも及ぶ年金給付金を現役世代だけでまかなうのは難しい。年金積立金の一部を預かるGPIFが資産運用を見直し、84兆円超も増やした事実を正しく評価すべきだ。
資産運用改革の原点はニューヨーク
森氏の資産運用改革の原点は、2003 年から籍を置いた米国ニューヨーク総領事館勤務にある。
旧大蔵省時代から歴代駐在員が作成し、代々引き継がれていた現地の「要人リスト」があった。森氏はこれを無視し、「最先端の米国金融の事情を把握 するため」、自らリストを一から作り直したのだ。
歴代の駐在員の中で、森氏以上に米国金融関係者を訪問し、面会を重ねた官僚は皆無であった。ヘッジファンド、 プライベート・エクイティ・ファンド、米連邦準備制度理事会(FRB)関係者、気鋭の経済学者、大手金融機関幹部、第一線で活躍する金融機関関係者を時間の許す限りまわったという。
余談である。
資産運用から外れるが、ニューヨーク駐在中の2006年、森氏が東京の金融関係要人に送ったレポートがある。森氏はFRBが大規模な量的金融緩和に踏み切ることをいち早く予測し、日本も大胆な金融緩和の研究を進めておく必要性を訴えていた。
米国の量的緩和は2008年のリーマン・ショック以降に始まる。つまり、 実に2年以上も前から森氏は、日本では誰も知らないこの動きを捉えていた。 FRB関係者から聞き出していたのだ。驚くべき調査力である。
森氏はニューヨーク駐在中に資産運用関係者との面談を通じ、彼らが顧客利益を最優先とし、極めて高いプロフェッショナル意識で職務に臨んでいることに衝撃を覚えた。
四六時中、情報収集に奔走し、預かり資産の運用のことばかりを考えて動いていたという。
彼らは高額な報酬の見返りとして、家族サービスそっちのけで、何よりも顧客利益を優先していた。そうした徹底した高いプロ意識の運用担当者は、40代を過ぎると心身共に疲れ果て、預かり資産の運用を卒業し、自分の資産だけの運用に切り替える者も珍しくなかった。
こうした切磋琢磨するプロの運用担当者によって年金基金、大学基金など機関投資家の利益が生み出され、資産運用業に対する信頼と期待を向上させ、優秀な人材を呼び込み、米国の国力につながっていることを森氏は知った。
人口減少が深刻化する日本では、残された数少ない成長産業こそが「資産運用業界」であると確信した。こうして資産運用改革は森氏のライフワークとなったのだ。
フィデューシャリー・デューティーとは
中世は、封建制度の英国である。
土地所有者には重税が課されていたため、土地の権利を管理者に預け、重税を免れようとする農民が続出した。
ところが、農民から土地を預かった管理者が土地を勝手に転売してしまう行為が横行し、これに農民が抗議した。国王お抱えの大法官は救済措置を講じた。
「何であろうと信認(フィデューシャリー)された者は、受益者の利益のために行動すべし」との判断を下したのだ。ここにフィデューシャリー・デューティーの起源がある。
なぜ「信認された者は受益者の利益のために行動する必要がある」のか。それは、人類の文明社会が高度な技術や知識を持つ専門家を信認することによって形成されているからだ。
文明社会は専門家による分業によって発展してきた。家族単位で暮らしていた太古の昔は誰もが医療行為、食料生産、暴漢への対策と撃退、揉め事に対する解決に従事しなければならなかった。
高度な知識や技量を求められる医師や弁護士を信頼して専門分野を任せることで、よりよい社会を形成してきた。ただ、専門家と依頼者、患者の間には情報の非対称性がある。
医師が患者の健康よりも、製薬会社からのキックバックを重視し、最善ではない薬剤を使うことは許されない。弁護士はクライアントが気づかない法的なリスクについて、気づいていながら黙っていることは職業倫理に反する。
そして、資産運用、資産形成に携わる金融機関の人間は、顧客から信認された以上、何をおいても顧客利益を優先しなければならない。
よもや、資産運用会社が販社からの手数料キックバックや、見返りとしてあてがわれる人事ポストに目が眩み、販社のために行動するということは、文明社会の根幹にあるフィデューシャリー・デューティーに照らしてありえない冒涜なのだ。
英米法ではフィデューシャリー・デューティーを大前提の規範や理念として捉えているが、大陸法では専門職を医師法、弁護士法という法律で厳格に責務を定めた。
このため大陸法を導入した日本では、フィデューシャリー・デューティーへの意識が薄い。「法律で禁じられていなければ問題ない」という身勝手な解釈で、98年の窓販解禁以降、多くの金融機関は資産運用会社と共犯関係を結び、顧客の資産収奪に走ってしまった。
GPIF改革、新NISA導入民主化への道程
大変革は、同じ時代を生きる人には理解されない。
100年前の自動車、1995年のWindows95、2007年のiPhoneの登場でも「これで時代がどう変わるのか」が正しく認識されなかった。
日本における資産運用改革もそうした変革の一つに過ぎない。むしろ金融機関の間では「混迷・困惑の時代」として刻まれるだろう。
しかし、回転売買の事実上の禁止、つみたてNISA導入、2024年から始まった新NISAへの道筋、GPIFなどの一連の改革は日本に確実な変化をもたらしている。
森氏が去っても一度進み始めた改革は止まらない。それは、販社天国時代でも金融庁が強権を振るう時代でもない。国民自らが資産運用のあり方を決めていく時代「資産運用の民主化」の到来だ。最終回となる次回コラムで展望したい。
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2024年5月の最終回では、今後の資産運用業界の展望と課題について解説いただく。そして、いよいよ投信窓販の未来へ踏み込んだ提言をしていただき、資産運用新時代を生き抜く窓販関係者へのメッセージとさせていただきたい。