森金融庁長官の登場による 「混迷・困惑」の時代
窓販に携わる関係者は、肌身で感じているはずだ。2015年に登場した森信親金融庁長官以降、資産運用業界が劇的に変化した、と。
森長官は、顧客利益を何よりも優先するフィデューシャリー・デューティー(FD)の価値観を軸に据え、資産運用改革を金融行政の最優先テーマとした。「顧客利益の最優先」を金融行政で打ち出したのは史上、初めてのことだった。
1998年の窓販解禁以降、販売会社として「売りやすい商品」を顧客に売り続けることができた金融機関にとっては、悪夢そのものであったに違いない。森金融庁の資産運用改革は、これまでの金融村における「常識」(つまり世間の非常識)が音を立てて崩れていく「混迷・困惑の時代」の始まりであった。顧客利益を最優先としてこなかった「これまでのやり方」では、もはや立ちゆかなくなるのだ。
2015年に金融庁長官に就いた森氏は、資産運用につながらない販売、商品、運用の実態を問題視し、「非産運用」への改革に着手した。まずは、窓販の販売手数料に切り込んだ。金融機関では、四半期ごとに投信の 販売が伸びるという異常な傾向が常態化していた。営業ノルマを課して、四半期ごとに顧客に投信を売り込んでいたためだ。仮に販売手数料が3%の場合、100万円を投資した瞬間から販売手数料として3万円が抜かれ、97万円から運用をしなければならない。これでは資産形成のハードルを上げてしまうことになる。
また金融機関の間では「短期の回転売買」という指摘を免れるため、3カ月以内を「短期」として、3カ月と1営業日以降に顧客へ売買を持ちかけるというずるがしこい商法も横行していた。金融機関との会合のたびに森氏は厳しい口調で対応を改めるよう求めた。金融庁もヒアリング、モニタリングを繰り返し、金融機関は対応の見直しを 迫られた。
テーマ型投信にも厳しい批判を向けた。 次々に「旬」が移ろうテーマは回転売買の格好の商品である。また、産業セクターに投資するテーマ型も「長期」という軸で見れば「旬」は短い。長期・分散・積立投資を普及させたい森氏として見過ごすことはできなかった。
毎月分配型投信にもメスを入れた。すると、金融機関から「顧客ニーズがある」との反論も渦巻いた。なるほど、年金生活者の高齢者には資産の取り崩しによる、手元キャッシュの確保は重要なポイントである。しかし、そのニーズと毎月分配型投信の実態は必ずしも一致していない。
実際に取り扱われてきた毎月分配型投信は、金融機関が分配のスケジュールを一方的に決め、結果、苛烈な分配度合いを競うといういびつなものとなっていた。これでは、資産形成効果を減退させる負の側面ばかりが強調されてしまう。重要なのは顧客本位である。つまり、金融機関の都合ではなく、顧客のニーズに合わせて取り崩す仕組みが重要なのだ。
税調とギリギリの交渉 つみたてNISA秘話
森金融行政の集大成であり、白眉となった政策は、2018年スタートの「つみたてNISA」であった。 これこそ、非課税措置という強烈な政策インセンティブをつけることで、 これまでの顧客利益を最優先としない商品、販売、運用会社という「非産運用」の全てを駆逐するという道筋を切り開いた政策となった。
つみたてNISAは、2014年にスタートした一般NISAへの「反省」から生まれた制度だった。年間非課税枠120万円、非課税期間5年間の一般NISAは、個別株取引に向いていたため、金融庁が推し進めたい「長期、積立投資」を促進するものではなかった。そこで年間40万円、20年間の非課税期間を設定したつみたてNISAで「長期、積立投資」を目指すことになった。
知られざる話だが、つみたてNISA は、森金融庁が自民党税制調査会、財務省主税局とのハードな交渉を戦い抜いて勝ち取ったものだ。金融庁と財務省の交渉は途中で膠着し、最後は森氏本人が交渉に乗り出すという、一歩間違えば、実現も危ぶまれるほどにギリギリのものであった。
税制改正を伴う制度の創設や改革には想像を絶する苦難がある。税調や主税局を相手にまわしてこれを論破し、非課税制度を成立させるのは霞が関の見えざる攻防の中でも至難の業だ。森長官のリーダーシップ抜きには、税調と主税局の高い壁を突破できるもので はなかった。
まともな投信 「わずか1%」の戦慄
こうした経緯もあり、森金融庁がつみたてNISA導入をめぐって、非課税の対象とする投信数を厳しく絞ったことは、当然の帰結であった。
金融庁が試みにスクリーニングしたところ、当時の株式型公募投信5406本のうち、販売手数料がノーロード(無料)で、信託報酬が一定以下となっているものは、50本以下だった。つまり、 長期・積立投資に適する「まともな商品」は、わずか1%弱しかなかったという戦慄する事実であった。
インターネット証券でのノーロード、 信託報酬の低い投信積立が常識化した今となっては信じ難い話だが、つい7年前、2016年3月末時点の投信純資産残高を振り返ってみよう。日本のトップは米国不動産投資信託(REIT)、2位が海外REIT、3位が米国REIT、4位が海外株式、5位が米国低格付け債券と、すべてがアクティブ型の商品であった。
ちなみに米国では、トップが米国株式インデックス、2位が世界株式(除く米国)インデックス、3位も米国株式インデックスと、上位はすべてインデックス型が占めた。
販売手数料の平均は、日本が3.20%、 米国は0.59%。信託報酬は日本1.53%、米国0.28%であった。これでは日本の投資信託が手数料の支払いで運用成績が元本割れする「手数料負け」するの は、当然であった。
肝心の運用成績はどうだったのか。リスク性が高いアクティブ型の手数料はインデックス型よりも高い。より大きなリターンに期待するためだ。にもかかわらず、(2016年から)過去10年の平均収益率はマイナス0.11%、米国はプラス5.20%である。いかにひどい運用であったかが分かる。
日本のファンド数は膨れ上がり、2015年末で5843本に達していた。しかし、1本当たりの残高は2009年以降、160億円前後から変わっていなかった。一方の米国では、2000年以降、数は 8000本前後で推移していたが、1本当たり残高は2000年末の8.5億ドルから19 億ドルと、2.3倍に増加していた。
投信設定以来の平均期間は日本13年、米国31年。平均純資産総額は日本1.1兆円、米国22.6兆円だ。投信を育て、投資家が利益を享受する好循環が米国では常識であった。