「地域密着型金融機関」としての気概は地場証券オーナーの父譲り

 FPMは、顧客は全て県内という新潟・燕三条の地元密着型IFAだ。1996年、現在同社の会長を務める小林幹扶(みきお)氏が損保の代理店として設立。1998年に参画した現在の社長、嘉瀬一洋氏の提案により、生命保険や投資信託を扱うようになった。

新潟・燕三条にあるFPM本社。このほか、新潟市内に新潟支店を構え、県内2拠点で運営する

「2歳のときに亡くなった父は、三条証券(現在は廃業)という地場証券のオーナーをしていました。燕三条は『人口当たりの社長の数が一番多い町』と言われるほど起業家の多い町で、コメリ(ホームセンター)やスノーピーク(登山用品)といった全国区の企業の創業地でもあります。この三条で家業を継ぎ、『金融機関として地元に貢献するんだ』という気持ちは早いうちから持っていました」と語る嘉瀬氏。新卒では第一証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に入社、「都会の証券営業」をひと通り経験したという。

勉強のつもりで証券業界に飛び込んだものの、短期での上昇を狙ったいわゆる回転売買をベースとした営業スタイルに「これでは顧客が疲弊する。地元で同じことはできない」と感じ、5年ほどで帰郷。三条証券に入社したが、地元三条でも同様の販売手法が横行している様子に愕然とした。

「信用が命の地場証券では持続可能な販売方法を取るべきだ、と経営を引き継いだ親族を説得したのですが……力及ばず、自分が折れる格好となりました」。1990年代後半といえば、1999年10月の株式売買委託手数料完全自由化を前に、証券業界における手数料低廉化やネット取引化の動きが出始めたころ。そんな中にあって、脱・回転売買という嘉瀬氏の考えは理想的であっても実践は難しく、周囲の人間も簡単には受け入れられなかったのだろう。

エフピーエム 代表取締役社長 嘉瀬一洋氏

継ぐつもりだった三条証券を去ることになったものの、「地場の金融機関としての地域貢献」を諦められなかった嘉瀬氏は、当時のFPM社長だった小林氏に相談を持ちかけた。小林氏は父親の生前、三条証券を担当する税理士事務所に勤務しており、同年代だったこともあって父親と親しい仲だったという。「心機一転、実力主義で戦えるメリルリンチ日本証券(現BofA証券)やプルデンシャル生命あたりに転職しようとも考えていたんです。FPMに入社したのは、私の話を聞いた小林が『扱いは生保が中心になるが、地場の金融機関への想いがあるなら、自分のところで腕を磨いてみては』と誘ってくれた縁でした」。