「フィデューシャリー・デューティー」(Fiduciary Duty)という言葉を聞いたことがあるだろうか。この2~3年の間に注目され始めたものなので、聞いたことがない、あるいは聞いたことがあったとしても内容は知らないといった方が多いだろう。
実は「フィデューシャリー・デューティー」(以下、FD)そのものの概念は古くからあり、日本では「受託者責任」と訳されてきた。これまでも金融業界では信託銀行を中心に使われてきたが、現在は「顧客本位の業務運営」と認識されることのほうが一般的になってきているように見受けられる。
また、顧客満足度(Customer Satisfaction : CS)と混同されがちだが、FDとは異なるものと考えることが多い。例えば、リスク選好度が高い高齢の顧客に対して、保有資産のほとんどを高リスク商品で運用することを提案することは、当該顧客の満足度は高いかもしれないが、その顧客に相応しい提案とは言えず顧客本位ではないだろう。
なぜFDが重視されるようになってきたのか
日本は欧米と比較して国民の預貯金の比率が高い。「2000万円問題」で注目を浴びた通り、特に現在のようなデフレ下では資産を預貯金に置いておくだけでは老後資金の確保もままならない状況だ。
安定的に中長期の資産運用を行うには一定程度株式や投資信託などでの運用が必要と考えられるが、日本では広がっていない。その主な理由として、金融庁が主導した有識者会議では、中長期の資産形成を促す政策や投資啓発の不足といったことのほか、投資信託等の提供に携わる金融機関等が真に顧客のために行動していない可能性、等が指摘された。
こうしたことを背景に、金融庁は2017年3月に投資信託等金融商品の提供(販売、助言、商品開発、資産管理、運用等)に携わる金融機関等の「顧客本位の業務運営」、すなわちFDの推進を目的として「顧客本位の業務運営に関する原則」(以下、「原則」)、および「顧客本位の業務運営に関する原則の定着に向けた取組み」(以下、「取組み」)を公表した。
「原則」そのものは販売会社のみを対象としたものではないが、当初から特に顧客本位とは言えない金融機関等の販売姿勢(頻繁な乗換売買、テーマ型や毎月分配型に偏った販売、高い手数料の商品販売、など)に焦点が当たってきた経緯があるため、現在でもFDといえば販売会社に対するものが中心となっている。それまで収益の多くを販売手数料に依存してきており、そのことが無理な投信販売につながってきた面が強かったが、そうではなく顧客本位を実践した上で収益をきちんと確保することを促している。
「原則」には金融機関がFDを実践する上で重要と考えられる項目が盛り込まれているが、それらを金融機関に強制するものではない点がこれまでと異なっている。法令などにより金融機関が取り組むべき最低基準を示すこれまでの方法(ルールベース・アプローチ)では「遵守する」ことが求められてきた。しかし、今回のような原則を示す方法(プリンシプルベース・アプローチ)では、各金融機関に対して原則を採択するかどうか、採択しないのであればその理由を説明することが求められている。また、採択した場合は自社の取組方針を策定するほか、「原則」を実現するために創意工夫を促している点で大きく異なる。
採択する金融事業者は年々増加しており、2020年3月末時点では1925社が自社のFDへの取組方針を公表している。また、FDの定着度合いを客観的に評価するための成果指標(KPI)については、各社が独自に定めたKPI(自主的なKPI)を990社が公表しているほか、金融庁が定めた投資信託の販売会社における比較可能なKPI(いわゆる共通KPI)は380社が公表している。
FDへの取り組みを怠る金融機関は淘汰されかねない
企業理念や社是に顧客第一を謳っている販売会社は多いが、真に顧客本位を実践してきたかというと必ずしもそうではないだろう。各社とも本当に顧客本位と向き合い始めたのは、やはり「原則」が公表された時期に重なる。「原則」は顧客本位を実践するための重要な事項が示されており、各社とも取組方針にそれを取り入れているほか、会社によってはその具体的な行動計画も公表している。
また、定期的に取組状況や成果指標(KPI)、各社横比較が可能な共通KPIも公表しているので、自身が取引している、あるいは取引を検討している投信販売会社のものをぜひ1回は見てほしい。FDの実践に真剣に取り組んでいるのか、それとも形式的に取り組んでいるのに過ぎないのか、またその取り組みを分かりやすく顧客に伝えようとしているのかなど、その会社のFDへの姿勢が伝わってくると思う。
FDを実践するには、顧客と日常的に接している営業員をはじめ、従業員が従来の考え方や行動様式を転換することが重要だ。長年にわたって染み付いてきたものだけに容易でないことは想像に難くないが、そのために各社がさまざまな工夫を凝らしている。
例えば組織体制について、片手間ではなくきちんとFDを推進するために専門部署や会議体を設置するケースがある。従業員の意識改革を図るためにFDに関する研修を繰り返し実施したり、経営層が直接従業員に語りかけ会社としての本気度を伝えたりしている。
仮に意識改革が図られたとしても、専門知識や顧客に分かりやすく伝えるために重要となる各種ツール(パンフレットやアプリケーションなど)が無くてはFDを実践(顧客ニーズに沿った提案や顧客に相応しい提案)することは難しい。そのため、研修やツール類の整備など営業活動のサポート体制を充実させるところもある。
また、取り扱っている投資信託についても、これまで運用会社の運用体制や運用そのものの巧拙といった面に注意が払われることはあまりなかったが、一部の販売会社では取扱開始時や取扱開始後にこれらをチェックすることで問題のない投資信託を品ぞろえする仕組みを取り入れる動きが出始めた。
さらに、営業店や営業員の評価についても販売額や収益額から残高や顧客への対応(営業プロセス)などを重視する体系とすることにより、顧客の意に沿わない回転売買や高い手数料率の投信販売を抑制する工夫も見られるようになった。
上記は各社の取り組みのごく一部を紹介したものであり、販売会社によって温度差はあるものの、ほかにも多くの施策に取り組んでいる。各社ともFDに本腰を入れ始めてから日が浅く、定着にはまだまだ時間がかかると思われるが、今後、取り組みを根気強く継続することにより高いレベルでFDを実践する販売会社になれば、顧客が増加し収益確保にもつながるに違いない。一方で、取り組みを怠っている販売会社は淘汰されることになろう。