「顧客本位」が当たり前になり350兆円時代到来—ポイントは?

――いま「投資信託350兆円時代」と言われていて、足元の国内公募投資の残高は350兆円にまで拡大しています。決して平坦な道のりではなかったと思いますが、どのように残高が積み上がっていったのでしょう。

ポイントは銀行での投資信託販売が解禁された28年前だと思います。銀行の参入によってそれまで大手証券が牛耳っていた投信販売の絵模様が大きく変わりました。

背景を言うと1990年代までの金融行政は、護送船団方式といって「金融機関を潰してはいけない」という方針が大前提にありました。それがバブル経済の崩壊によって立ち行かなくなり、1996年に「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる金融制度改革が始まり、規制緩和による金融機関の競争が一気に激化しました。1997年以降、私の勤めていた山一證券以外にも、三洋証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などが相次いで破綻したのです。

そんな中で1998年12月にスタートしたのが銀行での投資信託の窓口販売、いわゆる「銀行窓販」だったのです。

銀行での投信窓販開始と同じタイミングで、インターネット専業の証券会社も登場し、投信の販売チャネルが多様化したことも業界の大きな変化でした。商品では、冒頭にお伝えした日本株ファンドばかりだったものが、株式型、債券型、リート型、デリバティブを使ったちょっと複雑なファンド……と、バリエーションが出てきました。さらに、外資系の運用会社もどんどん参入してきたことで海外の資産に投資するファンドも多く設定されていったのです。

投信窓販開始による業界内の変化に伴って顧客層も一気に多様化しました。自分が証券会社にいたときは準富裕層が多かったイメージでしたが、超富裕層からマス層まで、幅広く増えていったと思います。

日本株ファンドに偏った時代が終わり、新たに台頭したものは?

――商品のチョイスが多様化したとのことですが、実際、どんな商品がヒットしたのですか。

銀行窓販黎明期の象徴といえば「毎月分配型」のファンドだと思います。その中でも代表的な商品は「グローバル・ソブリン・オープン(グロソブ)」ですね。

グロソブは1997年の設定ですが、残高が急拡大したのは2000年ぐらいからで、ピーク時の純資産残高は5兆円を超え、まさに国民的なファンドになりました。

グロソブの後にいくつも債券に投資する毎月分配型ファンドは出たものの、株式のファンドについては「株式で毎月分配は無理。債券のインカムゲインと株式の配当はボリュームが違うから難しい」とされてきましたが、2005年に「ピクテ・グローバル・インカム株式ファンド(グロイン)」が誕生してヒットしました。水道・電力・ガスといった高配当の公益株を多く組み入れることで毎月分配を実現したのです。

外国債券のグロソブと外国株式のグロインが売れたことで、「グロソブ・グロイン時代」とも言われ、毎月分配型のファンドが定着していったのです。

さらにバランス型ファンドに投資する人が増えてその後ブームになり、「財産3分法ファンド」や「GW7つの卵」「マイストーリー」といった、株式・債券・不動産等に分散投資するバランス型ファンドも売れましたね。

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銀行窓販がスタートし、毎月分配型ファンドの台頭などとともに顧客層も拡大しながら右肩上がりで成長していた投信業界は、その後、100年に1度と言われた世界的な金融危機によってさらなる時代の転換点を迎えます。この続きはぜひポッドキャストでお聞きください。