康介が認めた被害者意識

ホテルを出ると、夜風が頬に触れた。康介は上着のポケットに手を入れ、駅へ向かう人の流れに混じった。

25万円。

開業医である姉にとっても、ぽんと出せる金額なのだろう。一方、康介の25万円は、2カ月分の生活費に相当する。

それでも自分から払うと言ったのは、責任を果たそうとしたわけではない。美沙に助けてもらう自分が惨めに思えただけだ。哀れまれるくらいなら、金を失うほうがましだと、咄嗟に意地を張った。

「馬鹿みたいだな……」

つぶやいても、少しも気は楽にならなかった。

駅に着き、電車へ乗り込む。空いていた座席に腰を下ろすと、窓に疲れた自分の顔が映った。父や美沙と同じ難関大学の医学部に3度落ちたときも、似たようなことがあった。

「医者になる道はひとつじゃない。ほかの大学も視野に入れなさい」

父にそう言われ、美沙からもランクを下げるよう遠回しに勧められた。康介は自分が見限られたのだと思った。能力で劣っていると決めつけられ、負け組の人生を押しつけられたのだと。

その考えを、長いあいだ疑わなかった。だが、下手な医学部へ行くくらいならと、工学部への願書を書いたのは自分だった。卒業後にメーカーへ就職し、15年間働いてきたのも自分だ。誰かに強制されたわけではない。それなのに康介は、自分の責任を認めようとしなかった。

医者になれなかった人生。

そうラベリングして自分を憐れんでいたのは、父でも美沙でもない。ほかならぬ康介自身だった。

(俺はずっと、被害者面して生きてきたんだな……)

今回も同じだ。困り果てて美沙へ電話をかけ、助けを求めた。ところが実際に手を差し出されると、それを敗北のように感じ、自ら苦しい道を選んだ。うまくいかないと誰かのせいにし、助けられそうになると意地を張る。その繰り返しの先に、今の自分がいるのだ。

「情けねぇな」

とはいえ、美沙に電話をかけて謝る気にはなれなかった。折半を撤回してくれとも言えない。明日から急に自分の仕事を誇れるとも思えなかった。

それでも、自分の人生は、自分の選択が積み重なってできている。その事実だけは、受け止めなければいけない。

「お出口は右側です。お降りの際は足元にご注意ください」

車内アナウンスが流れ、電車がゆっくりと速度を落とした。窓の外に、見慣れたホームの灯りが近づいてくる。やがて扉が開くと、康介は鞄を持って立ち上がり、降りていく乗客のあとに続いた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。