「事前の相続放棄」は本当に有効なのか

そもそも論として、相続人が財産を一切相続しないことを自発的に選択することは可能だ。これを相続放棄という。

相続放棄をすると、初めから相続人ではなかったとみなされるため、相続は一切できなくなる。

誰かが相続放棄すると、他の相続人に分配される財産が大きく増加する。ただその一方、相続放棄をした本人は何も相続できず、完全に蚊帳の外に追いやられてしまう。

このように相続放棄は、相続に非常に大きな影響を与える。放棄する本人はもちろん、他の相続人にも影響することから、相続放棄は、相続前にはできない。また、他人が強要することもできない。

つまり、彩子さんが署名させられた相続放棄の誓約書は法的には無効で、彼女はいまだに相続人の一人であると考えられる。

私は彩子さんにそのことをできるだけ丁寧に説明した。丁寧とは言ったが、通夜の席上であり、あまり長話をする余裕はなかった。

「また明日、あらためて話を聞かせて」と彩子さんは提案する。私は了承し、「じゃあ翌日の夕方以降ならいつでもいいから連絡して」と約束した。

迷ったら専門家に相談すべき

翌日、その約束通りに彩子さんから電話があり、話をした。ただ、彩子さんはどうしても弟に対して強く出ることができないようだった。

いろいろ相談した結果、道雄さんに対して内容証明を送り、相続放棄はしないという彩子さんの意思を明確に示すことになった。

内容証明を送った翌日、さっそく道雄さんから彩子さんに連絡があった。

「は? 約束が違うじゃん!」という、何とも自分勝手な抗議だったという。

ただ、内容証明を送ったことが、1つのきっかけとなったようで、「もうここまで来たらやるしかないよね」と、彩子さんは私に向かって決意の言葉を述べていた。

現在、彩子さんと道雄さんの相続争いは、家庭裁判所での調停に持ち込まれることが決まっているという。

道雄さんが家庭裁判所でどのような主張をするのか、今のところ不明ではあるが、おそらく相続の前に、彩子さんが相続放棄に同意した誓約書を持ち出し、自分だけが相続人だと主張するのだろう。

ただ、先述したように、事前の相続放棄は無効である。書面があろうが、署名や押印があろうが関係ない。相続放棄は相続後にしか行えないし、まして本人の意思に反して放棄させることはできない。

これを読んだ方の中に、親族から相続放棄を迫られた経験のある方がいるとしたら、安心してほしい。

仮に何らかの書面にサインしていようが、事前の相続放棄は絶対に無効だ。

相続においては、押しの強い人や過去からの力関係が正しいわけではない。自信を持ち、必要に応じて家庭裁判所や専門家と連携しながら、強く立ち向かってほしい。

なぜなら、相続は自身にとっても亡くなった人にとっても大切な事柄であるのだから。

※プライバシー保護のため、事例内容に一部変更を加えています。