実家で目にした父の姿
実家に着いたときには、もう夕陽が沈みかけていた。
門扉も表札も、庭先の植木鉢も正月に訪れたときのままだ。だが、玄関の引き戸を開けた途端、家の中に漂う重苦しい空気に気づいてしまった。
「お母さん、ただいま」
声をかけると、奥から母が出てきた。髪は急いで結び直したのか少し乱れ、目元も赤い。
「伊代……よく来てくれたね」
「お父さんは?」
「居間にいるわ。さっき少し起きたけど、今はまたうとうとしてる」
伊代は鞄を脇に置き、そのまま居間へ向かった。父は目を閉じて座椅子にもたれかかり、薄い毛布を腹のあたりまでかけていた。
「お父さん」
そばに座ると、父はゆっくり目を開けた。
「おう。来たのか」
「来るに決まってるでしょ。お父さんがこんなことになってるのに」
「……悪いな。仕事、あっただろ」
「そんなのいいよ」
思ったより普通に返事をされたことで、かえって涙が込み上げそうになった。伊代は唇を結び、父の顔をのぞき込んだ。
「苦しくない? 熱は? 何か食べられた?」
「いや、そこまで大したもんじゃない。ちょっとだるいだけで」
「大したことあるわよ」
母がお茶を持って入ってきて、湯呑みを卓上に置いた。
「お昼もほとんど食べてないのよ。朝も、お粥を少しだけ」
「何かお腹に入れたほうがいいんじゃない?」
「私もそう言ってるんだけどね。いらないって言うの、お父さん」
伊代は父の手にそっと触れた。
「お茶、少し飲める?」
「あとでいい」
「少しでいいから」
父は面倒そうに眉を寄せたが、伊代が湯呑みを手渡すと、観念したようにひと口だけ飲んだ。その仕草にほっとする自分がいて、情けないほど気持ちが揺れているのが分かった。
「お母さんは、ちゃんとごはん食べたの」
「私はいいのよ」
「よくないよ。2人とも倒れたらどうするの」
母は困ったように笑って、「さっき朝の残りを少し」と答えた。
その声にも疲れがにじんでいる。伊代は立ち上がり、台所のほうを見た。
「何か温かいもの作るよ。お父さんも、少しなら食べられるかもしれないし」
「いいって。お前も疲れてるだろ」
「途中で抜けてきたから疲れてない。今は遠慮しないで」
言いながら、自分の口調が少しきつくなったのに気づいた。
父を責めたいわけではない。ただ、何かしていないと不安に飲まれそうで落ち着かなかった。
そのとき、玄関のほうで戸の開く音がした。続いて、父によく似た弟の声がする。
「ただいま」
毅だ、と分かった瞬間、伊代はようやく浅く息を吐いた。
状況は何ひとつよくなってはいない。それでも、家族が1人増えただけで、張りつめていた気持ちがわずかにほどけた。
