ソウルのクリニックで初体験

施術室に入ると、待合室のざわめきが薄い膜の向こうへ遠のいた。ひかりはベッドの端に腰を下ろし、布がこすれる音を聞いた。依子は隣の椅子で手荷物をまとめている。ついさっきまで焼肉を頬張っていたのが嘘のようだ。

「先に毛穴を洗浄します。違和感があればすぐ言ってください」

穏やかな女性スタッフの声が聞こえ、ひかりは思わず確認する。

「あの、痛くないんですよね?」

「吸引の感覚があります。痛みは感じない方が多いです」

冷たいジェルが顔にのり、機械の吸引音が近づいてくる。肌に当てられた瞬間、じわっと頬が引っ張られた。痛くはないが、慣れない感覚で落ち着かない。

「これ、思ったより、引っぱられますね」

「強さ、下げますか」

「いえ。このままで大丈夫です」

一通り終わると、次は超音波だと言われた。

「では、当てていきますね。少し振動がありますが、痛みはほとんどないですよ。お肌がじんわり温かくなる感じがあると思います」

丸いヘッドが頬を滑り、細かな振動が肌の奥へ伝わってくる。心地よくて、自然とまぶたが重くなった。ひかりの心を読んだかのようなタイミングで、依子が隣の施術台から声をかける。

「私、これ好きなんだ。マッサージみたいで」

「分かる。ちょっと気持ちいいよね」

やがて鎮静用のパックが置かれ、全ての施術が終わった。「お疲れさまです」と鏡を渡される。自分では、見た目の変化ははっきりしない。しかし頬に触れると、指先が吸い付くような気はした。

「……劇的な変化ではないね」

ネガティブ寄りの感想だったが、依子は気を悪くした様子もなく、いつもの調子で笑った。

「変化は明日以降の写真で分かるよ。今日は土台作りだから」

「ふうん。そういうものなんだ」

待合に戻り、注意事項の紙と一緒にレシートを受け取る。会計は日本円で1人2万弱。思った以上に安い価格に驚いた。

「ありがとうございました」

外へ出ると、夜風に乗って甘い油の匂いが鼻を突いた。

「おやつ買って帰ろ」

屋台の前には小さな列ができていた。鉄板の上で生地が押され、丸く広がっていく。表面がこんがり色づくたび、砂糖とシナモンの匂いが立ちのぼった。

「はちみつとナッツのやつにしよ」

「すごい熱そう」

「だからいいの」

紙袋に入ったホットクを受け取ると、手のひらがじんわり温まった。慎重に口へ運んだ途端、中からとろりと甘い蜜があふれ、思わず声が出る。

「……おいしい」

「でしょ。今日の締め」

2人は人の流れに合わせて歩き出した。しばらくすると、依子がスマホを開き、画面をひかりのほうへ傾けた。

「で、明日からの予定。共有しとくね」

「もう組んであるんだ」

「もちろん。旅行はスケジューリングが命」

画面には時間と店名がずらりと並んでいた。移動時間まできちんと入っている。依子らしい、とひかりは思う。

「明日の午前は眉。っていっても整えるだけのとこ。午後は頭皮ケア」

「肌はいいの?」

「肌は明後日。今日はアクアピールとLDMやったから、明日は休ませる」

「なるほどね」

ひかりはホットクの袋を持ち替えた。

「私は食べ物優先ね。美容は、ついで」

「いいよ。ついでで十分。ついでが増えるのが楽しいんだから」

最後の一口を食べ、指先についたはちみつをティッシュで拭う。無意識に顔をこすりかけたところで、さっき読んだ注意事項を思い出し、慌てて手を下ろした。