鉄板の上で肉が焼ける音が、途切れることなく続いていた。ひかりは箸を置き、煙の向こうで笑う依子を眺める。
初めての海外旅行。
ソウルの空港に降り立ったときの緊張感は、もう薄れていた。
「おいしいね。これ、ずっと食べてられる」
「でしょ。ひかりは、絶対韓国ハマると思ったんだよね」
依子はそう言いながら、サンチュに焼いた肉とキムチ、コチュジャンを手早く巻き、ひかりの皿へ置いた。素直に頬張ると、甘辛いタレと香ばしさが口に残った。
「ひかり、次こっち。予約してあるの」
会計を済ませて外に出ると、夕方の風が思ったより冷たい。
「え、私もう食べられないよ?」
「違う違う、食べものじゃなくて、クリニック。今日しか予約取れなかったの」
意外な一言に、思わず足を止めたが、依子は平然と歩き出した。ひかりは半歩遅れてついていく。
「美容の? 私、そういうのは別に……」
「興味なくても、30超えたら肌管理は必須。やっとくと後が楽だから。ね?」
「うーん……痛いやつじゃないよね?」
「うん、痛くはないから大丈夫。今日はアクアピールとLDM。ダウンタイムもないよ」
「ちょっと何言ってるか分かんないです」
「簡単に言うと、毛穴をきれいにするやつ」
気乗りはしなかったが、いまさら1人でホテルに帰るのは不安だ。何より、依子が取った予約を無駄にできるほど、ひかりは薄情ではない。
「時間って、どれくらいかかるの?」
「受付入れて1時間ちょい。終わったら屋台で甘いの買お」
「……分かった」
通りを曲がり、ガラス張りの建物に入る。
「ご予約の大川さまと、田嶋さまですね。お待ちしておりました」
依子がスマホ画面を見せると、受付から聞こえてきたのは、流暢な日本語。クリニックのスタッフは、ほぼ全員が日本語が話せるのだと聞き、ひかりは少しだけ安堵した。
すぐに、紙の束が手渡される。
「こちらは同意書です。日本語版もあります」
ひかりは椅子に腰を下ろし、ページをめくった。施術の内容、起こり得る反応、当日の注意。細かい文字が続く。
「これ、赤みが出るって書いてあるんだけど」
「出ても一時的なもの。翌日には引く人が多いって」
「じゃあ、明日観光できる?」
「できるできる。っていうか、赤くなる人自体少ないよ」
依子は隣でスマホを見ながら答える。
「そっか……」
ひかりは注意事項の欄をもう一度読んでから、サインをした。
