今、世界経済は大きな混乱を迎えています。

朝令暮改するトランプ大統領の政策。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃。

日本では、日経平均が最高値を更新し、賃金上昇が続く一方で、物価高が続いています。

先の見えない世界経済はどこに進んでいくのでしょうか?

超人気エコノミストの河野龍太郎氏と唐鎌大輔氏が世界経済と金融の“盲点”について、あらゆる角度から徹底的に対論します。(全3回の2回)

※本稿は、河野龍太郎/唐鎌大輔著『世界経済の死角』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

生産性を絶対視するのは危険

唐鎌 日本の企業部門の歴史を振り返ると、「利益は積み上げてきたものの、これと整合的な賃金上昇には消極的だった」という点に尽きるのではないかと思います。河野さんが指摘されたように、日本はドイツやフランスに生産性の伸び率で勝ってきたという事実も踏まえると、そもそも生産性が上がって儲かった部分はどこに行ったのか、というのが争点になりそうです。これは後ほど「分配」のお話としてお聞かせ願えればと思います。

いずれにせよ、こうした事実を正しく踏まえると、「生産性の向上を考えること自体が非生産的ではないか」という指摘もあったりして、言い得て妙だと思います。そもそもコストを減らせば生産性は上がるわけで、生産性という概念を絶対視するのも危険だと感じます。

河野 その通りで、生産性を重視しすぎることは生産的でないばかりか、かえって働く人々の賃金を押し下げる側面もあります。

「未来の工場の従業員は2人になる」という話があって、正確には「一人の人間と一匹の犬」のことなのですが、人間がそこにいるのは犬に餌えさをやるため、犬がそこにいるのは人間が機械に触れないように見張るためという、ちょっと風刺のきいた譬たとえ話です。

この想像上の未来の工場では、生産物をたった一人の人間が大量に作るので、「平均生産性」は相当に高いのですが、従業員がそこにいるのは犬に餌を与えるためだけなので、従業員と犬が増えても減っても、生産量はほとんど変わりません。

より高性能な機械を導入すれば、労働者一人当たりの生産量(生産性)はさらに増加するのでしょうが、だからといって、この工場では従業員や犬を増やすことはないでしょうし、経営陣も、従業員と犬の給料を増やそうとは考えないはずです。

ここで話をしているのは「平均生産性」のことですが、後の章で詳しくお話しする通り、経済において大事なのは、「平均生産性」ではなく、労働者一人を追加したときの付加価値の増分である「限界生産性」であって、それが、企業経営者がもっと人を雇うとか、つまり労働需要が増えるとか、実質賃金の引き上げにつながるとかに大きく影響します。

機械を新たに導入して「平均生産性」を上げるだけなら、ひょっとすると「限界生産性」は低下して、労働需要も低下するため、実質賃金に低下圧力がかかるかもしれませんよね。