息子は野球に励んではいるが……。

野球というのは、つくづくお金と手間がかかるスポーツだと思う。

たとえばサッカーなんかは南米の貧しい地域の子どもたちでもボール1つで楽しめるスポーツだなんて話を聞いたことがあったけれど、野球は違う。普通の習い事のように月謝があるのは当然としても、ユニフォームやグローブ、バットなど道具を揃えるのにだってお金がかかる。そのうえ、公式戦だ練習試合だとなれば交通費だって必要だし、引率や応援のために親が駆り出されることも珍しくない。あさひはシングルマザーということもあって、各家庭で持ち回りの引率は免除してもらえているけれど、免除してもらうならしてもらうでたまの応援に出かけたときなんかには気を回さなければいけないことが山ほどある。

野球がそんなふうにいろいろな面でハードなスポーツなこともあって、あさひの生活は拓人と野球を中心に回っている。

「ねえ、母ちゃん。飯食ったら、バッティング付き合ってほしい」

「えー、またやるの? さっきシャワー浴びたばっかりなのに」

「だって試合近いんだもん。それに次勝ったら、去年優勝したドラゴンズと試合だから、絶対勝ちたいし、絶対ヒット打ちたいんだよ」

カレーを頬張る拓人の視線はまっすぐで力強い。きっと、事故で死んでしまった夫が知ったら得意げになるだろうなと思う。拓人の野球好きと地道な努力を怠らない性格は、間違いなく父親譲りだ。

親の色眼鏡を加味すると、拓人はチームの誰よりも練習熱心だ。けれど一生懸命だからと言って、試合に出られるわけではない。

拓人は今年で6年生だが、まだ公式戦には出たことがない。いわゆる万年ベンチというやつだ。身体が大きいわけでもなければ、足が速かったり、守備が上手なわけでもない。おまけに1つ下の学年に上手な子が多いというチーム事情もあって、拓人が試合に出られる可能性は限りなく低い。それでも拓人は懸命に練習を続けている。きっと本当に野球が好きなのだろう。ならばその好きなことに全力で取り組めるよう、できる限りの応援をしてあげたくなるのが親心というやつだ。

「いいだろう。その気合いに免じて手伝ってあげよう」

「うん、ありがとう」

「でも早く食べちゃって。母ちゃん、9時から観たいドラマあるから」

「ドラマと俺の野球、どっちが大事なんだよ?」

「はーい、喋ってると練習時間が減りますよー」

「わー、待って待って。急いで食うから!」

拓人は口のなかに詰め込んだカレーを麦茶で流し込む。もっと味わって食いなんせ、と思わなくもないけれど、まあいいだろう。若人は生き急いでこそ、だ。

あさひたちが暮らすアパートの敷地内には、おあつらえ向きに二本の木が並んで生えている。本来であれば駐車スペースとしても使っている空間だったけれど、たまたま空いていたこともあり、大家さんにはだいぶ無理を聞いてもらって簡易バッティング場として使わせてもらっている。もちろん本物のボールを使うわけにはいかないから、打つのは丸めた新聞紙にガムテープを貼ったあさひ特製ボール。練習は、二本の木のあいだにホームセンターで買ってきたネットを張らせてもらい、そのネットに向かってあさひがトスしたボールを打つという具合だ。

「いくよー」

あさひは右手を振り、下からボールを投げる。ふわりと浮いたボールに狙いを定め、拓人はバットを振り抜く。ぼす、と少し間抜けな音がして、ガムテープボールはネットにぶつかる。

「ちゃんとピッチャー意識して! 上から叩くイメージで!」

練習を見に行ったときにコーチが言っていた指導を真似してみると、拓人が眉間にしわを寄せながらバットを下ろす。

「母ちゃん、うるさい。気が散るから」

「なに言ってんの。試合は相手チームの野次とかあるんだから、このくらいで気が散ってたら話になんないでしょー。はい、集中!」

手を叩き、かごのなかのガムテープボールを投げる。慌ててバットを構えた拓人は空振りをする。

「はい、もう1球!」

さっき確認したら、9時はとっくに過ぎていた。ドラマはまあ、しかたないか……とあさひは思いながら、次のボールをトスする。今度はしっかりと、芯でとらえた打球の音が夜空に響く。