車窓に流れる風景が、ビルから背の低い民家へと移ろい、田畑へと変わる。長く住み慣れた東京を背にして、孝道は久しぶりに実家へと向かっていた。

久しぶりだった。最後に実家に帰ったのは、3年前の母の葬儀のとき。昔は母にせっつかれて盆くらいは孫の顔を見せに帰省していたものだが、子どもたちが大きくなるにつれてその頻度は減り、孝道自身も安堵したのを覚えている。無論、子どもたちが独り立ちした今、孝道1人で帰省するはずもなければ、妻を連れだって帰ることもなかった。

今年の3月で定年するまでは仕事が忙しかったのもある。だがそんなものは取ってつけたような理由にすぎないことも分かっている。単に会いたくなかったのだ。
孝道は父が嫌いだった。

地元の町では珍しく、商社マンとして働いていた父は優秀で、自分にも他人にも厳しい人だった。特に礼儀や規律には人一倍うるさく、孝道も母たちも苦労した。口答えでもしようものなら容赦なく殴られたし、殴られるたびに孝道は父への嫌悪を募らせて反抗する態度を取った。

18歳のとき、大学進学を理由に家を出た。当時はこれで自由だと勝ち誇った気持ちでいたが、自分も2人の子育てをした今となっては、学費も生活費も親の力に支えられて独り立ちした気分に浸っていたにすぎないと分かる。働きはじめてからも、お前はしっかりしているなと上司に褒められることが多かったのは、幼少期から散々叩き込まれた礼儀と規律のおかげだった。

だから、父が嫌いだったが感謝はしている。

そんな相反する気持ちは、父と顔を合わせないという1番安易な方法を孝道に選ばせた。そうするほうが楽だった。仕事が忙しいと方便を並べ、遠ざけておけば、鬱陶しい感情に振り回されずに済んだ。

だが、それが正しかったのかは分からない。いや、こう考えている時点で正しくはなかったのだろう。車の中でひとり、孝道は数日前にかかってきた妹からの電話を思い出していた。

『お父さん……もう長くないかもしれないって』

開口一番そう言った妹の声には、どことなく疲労がにじんでいた。