経済的な価値観の違いを実感した二世帯同居生活

地方出身の私は進学した大学で妻と出会い、30歳で結婚しました。妻は東京の下町の出身で、義父は区役所の職員、義母は区役所で健康診断などに携わる看護師でした。

私たちが結婚を決めた頃、両親は義父の親から引き継いだ家に住んでいて、「改築を考えているんだけれど、二世帯住宅を建てて同居しないか?」と声をかけてくれたのです。

それは当時の私たちにとっても渡りに舟でした。私たちが住む2階部分の建築費はローンを組んで借り入れましたが、月々の返済額は都内のマンションの家賃よりずっと安上がりだったからです。

私自身も男ばかり3人兄弟の三男坊だったこともあり、うちの両親も「いっそのこと、婿養子になっちゃえば?」と気楽な感じでした。

かくして二世帯同居がスタートしたのですが、義両親との暮らしは思いのほか、気づまりなものでした。最大の要因は経済的な価値観の違いです。

昭和一桁世代の義両親は、私たちが歴史の授業でしか知らない第2次世界大戦、さらには終戦後の荒廃した東京で、相当に厳しい生活を強いられたようです。ほとんどが水分の味もない重湯を1日1杯しか食べられなかったこともあるという話を聞かされたこともあります。そうした過酷な体験をしたためか、義父母は「つつましい」を通り越して「吝嗇(りんしょく)」というレベルの節約生活を送っていたのです。

義母は料理上手でもあったのですが、朝晩の食事は100%自炊でほとんどが焼き魚や野菜の煮物。出来合いの惣菜を買ってきたり、店屋物を取ったりすることは皆無でした。誕生日などのお祝いの食卓には、決まって義母の手製の野菜やかんぴょうの入ったちらし寿司が並びます。

衣料品や服飾品もほとんど買いません。義母が穴の開いた服に当て布をして修繕する姿をよく見かけました。そんな親に育てられた妻も服装には無頓着。結婚後も中学生の頃の服を平気で着ていました。私は学生時代からファッション誌を読み流行を追いかけるタイプだったので、自由に買い物ができない環境はストレスがたまりました。