「プレイステーション」は任天堂との決裂で生まれた

2020年、「任天堂プレイステーション」と称された1台のゲーム機が36万ドル(約3800万円)もの高値で落札されました。「プレイステーション」は言わずと知れたソニーグループの看板ゲーム機で、当然ライバル企業である任天堂のものではありません。なぜ任天堂を冠したプレイステーションが存在するのでしょうか。

その背景には、プレイステーション誕生にまつわるエピソードが関係しています。実はプレイステーションは、もともと任天堂とソニーが共同でリリースするはずのゲーム機でした。上述の「任天堂プレイステーション」は、この頃の試作品の1つだとみられています。

任天堂がゲーム業界を席巻していた1990年、ソニーと任天堂は新しいフォーマット対応のゲーム機を開発することで合意します。「スーパーファミコン」や「ゲームボーイ」など、当時の人気ゲーム機はカセット式が主流だったところ、両社はCD-ROMに対応するゲーム機を目指しました。

しかし、この提携は土壇場で破棄されたため、両社が開発したゲーム機が世に出されることはありませんでした。試作品も完成し、記者会見での発表も間近に控えていた1991年、任天堂は一方的に提携の解消を申し出たのです。

離縁状を突き付けられたソニーは、ゲーム開発からの撤退も検討します。国内のゲーム業界は任天堂の独壇場であり、エレクトロニクス企業のソニーがそこへ進出することは簡単なことではありませんでした。このとき、ソニーがゲームから手を引いていても、誰も不思議には思わなかったでしょう。

しかしソニーは開発を諦めませんでした。自社でゲーム機を開発し、1994年にCD-ROM対応のゲーム機として「プレイステーション」をリリースします。この判断がなければ、プレイステーションは誕生しなかったかもしれません。プレイステーションは世界的にヒットし、現在ではゲーム事業が同社の最も大きな収益源となっています。

【ソニーグループのセグメント状況(2022年3月期)】

出所:ソニーグループ 2022年3月期決算短信