・「平成」は平和じゃなかった? すぐ分かる“平成時代に起きたこと”
昨年1月9日、海部俊樹(かいふ・としき)元首相が亡くなりました。「リクルート事件」で失墜した信用を取り戻すため奮闘し、クリーンなイメージで国民の支持を集めたことで有名な人物です。訃報には、国内外から悼む声が集まりました。
リクルート事件は、昭和末期に明らかになった大汚職事件です。多数の政治家の関与が発覚し、国民の強い政治不信を招きました。
リクルート事件とは
リクルート事件とは、リクルートの創業者、江副浩正(えぞえ・ひろまさ)氏が政財界での地位向上を狙い行った大規模な贈収賄事件です。政治家や経営者など、贈収賄に関わったとして各界の大物が12人も起訴され、全員に有罪判決が下されました。
江副氏は1985年ごろから贈賄を行っていたとみられています。賄賂にはリクルート子会社「リクルートコスモス」(現・コスモスイニシア)の未公開株が用いられ、政治家や官僚、産業界の有力者に低価格で譲渡していました。
元々の譲渡金額が低い上、当時未公開株は公開後の値上がりが確実視されており、売却すれば利益を得られることは明白でした。
未公開株を介した賄賂は政界に広く浸食し、当時の竹下登(たけした・のぼる)首相や大蔵大臣(現在の財務大臣に相当)といった政界の顔も未公開株を受け取っていました。リクルート側から未公開株や資金の提供を受けた政治家は、与野党含め90人に及ぶと指摘する声もあります。
竹下内閣は1989年4月、事件の責任を取り退陣を表明し、同年6月に宇野宗佑(うの・そうすけ)氏が総理大臣となりました。しかし国民の憤りは強く、翌月の参院選で与党は大敗を喫します。これを受け、宇野内閣はわずか2カ月ほどで退陣することになりました。その後、内閣総理大臣に就任した海部氏は国民の信頼回復に腐心し、1990年2月の総選挙で安定多数の議席確保に成功します。
江副氏は逮捕され、2003年3月に有罪判決が下されました。リクルートホールディングスの信用は大きく損なわれますが、事件後は信頼回復に努め、現在も人材サービス業界でトップクラスのシェアを持っています。
【リクルートホールディングスの業績】
出所:リクルートホールディングス 決算短信より
【リクルートホールディングスの株価】