時代を超えて人心を捉え続ける兼好の人生観

兼好の代表作である随筆『徒然草』は、清少納言の『枕草子』や鴨長明の『方丈記』とともに日本三大随筆とされるが、主として人生の無常観で貫かれている。

平易な語り口とその内容は、乱世を生きる人たちに共感の輪を広げた。兼好の死後100年が経過した江戸時代になると、庶民に愛読される身近な古典となり、現代もなお人々の心を打つ。

「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」で始まる第7段は、この随筆集の基調として、人生の無常を説く。

かげろうのように朝に生まれて夕べには死ぬ、夏のセミのように春秋の季節美を知ることなく死にゆくことを考えると、命あるもので、人間ほどに長生きするものはいない。しかし、醜い姿になるまで生きていて何になろう。長生きすると恥をかくことも多くなる。死があるからこそ生が輝くのだと、死を恐れすぎるなと語りかける。

「蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ南北に走(わし)る」で始まる第74段では、待っているのは、老いと死の2つだけだ。しかも、この2つは目にも留まらぬ早さでやって来る。生きる意味を知ろうとしないものは、老いも死も恐れない。この世が永久に不変と思い込んで、万物は流転し変化するという無常の法則をわきまえないからだと、無常の世と一生の短さを訴える。

さらに、第108段では「寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか」で始まり、短い一生だからこそ、わずかな時間でも大切に過ごすべきだと説く。一銭はわずかな金であるが、コツコツと貯めていくと貧乏人も金持ちになる。それゆえ、商売人が一銭を惜しむ心は切実だ。同じように、一瞬などの短時間は明確に意識することは困難だが、その一瞬をおろそかにしていると、たちまちのうちに一生の最期を迎えてしまう。つまらないことに心を取られないで、世間との付き合いを絶ってでも真理を追究せよと諭す。