ナチスを批判しドイツを脱出。ドラッカーの経歴

華々しい経歴を持つドラッカーですが、アメリカでゼネラル・モーターズのコンサルタントに就任するまでの人生は波乱に満ちています。

1909年:オーストリア・ウィーンに生まれる
1914年:皇太子を殺害されたオーストリアがセルビアへ宣戦布告。第1次大戦へ
1927年:ドイツに渡り、貿易会社の見習いを経て米国系投資会社の証券アナリストに
1929年:大恐慌(暗黒の木曜日)で失職。新聞記者に
1933年:ナチスが政権を掌握。ドイツを脱出し、イギリス・ロンドンへ
1934年:マーチャント・バンク(投資銀行)「フリードバーグ商会」のアナリストに
1937年:妻ドリスと結婚し、アメリカへ。弟もニューヨークへ移住
1938年:ナチスが祖国オーストリアを併合。両親もアメリカへ移住
1943年:ゼネラル・モーターズ(GM)のコンサルタントに就任

特にドイツを脱出する1933年、ドラッカーに戦争の影が迫ります。ドラッカーはユダヤ人哲学者のフリードリヒ・シュタールに関する本の出版作業に入っていましたが、反ユダヤのナチス政権下において、それはナチスへの攻撃とみなされる危険がありました。

ドラッカーがドイツを脱出する前日、籍を置いていたフランクフルト大学にナチスが乗り込み、全ユダヤ人教員の解雇を宣言。ドラッカーはユダヤ人本を出版する危険を知りつつも出版作業を進め、翌日の正午にドイツを脱出します。本は出版されるもすぐに発禁・焚書となりました。

その後の活躍は先述の通り。『マネジメント』の出版後も、小説を含めさまざまな本を精力的に執筆しました。そして2005年、日本経済新聞で「私の履歴書」が連載された年、ドラッカーはクレアモント(カリフォルニア州)の自宅で亡くなります。