1928(昭和3)年11月1日の午前7時に、日本放送協会(NHK)の東京中央放送局から、「ラジオ体操」の放送が初めて流された。これにちなみ、当体操の普及の一翼を担ったかんぽ生命保険が2018(平成30)年に、この日を「ラジオ体操の日」と制定した。
ラジオ体操のルーツは意外にも海外にあった
1925年にアメリカのメトロポリタン生命(現在のメットライフ生命)が、ピアノの伴奏に合わせた健康体操を創作しラジオ放送を始めた。この体操をメトロポリタン・ヘルス・エクササイズと称して普及に努めたのが、ラジオ体操の端緒だとされる。最盛期には約400万人に及ぶ人がこの体操に興じたとされる。
日本ではこれを参考に、旧逓信省の簡易保険局がラジオ体操を考案し、NHKが協力して、1928(昭和3)年11月1日に放送を開始した。ラジオ体操は今でこそなじみのある体操として定着しているが、創設当時は国民の健康増進のためとはいえ、その趣旨がなかなか理解されなかった。このため、その普及に向け各種の取り組みが実施された。体操をしながら眺めるための「体操掛軸」や「体操人形」が作成されたり、「国民体操宣伝隊」が編成され、全国各地を廻るキャンペーンなども行われた。また、「健康星取表」というカードが無料配布され、体操をした後に星を付けるとともに1銭の貯金をするという取り組みも行われた。体操で健康とお金が貯まるという訴えだ。
しかし、国民にあまねく定着したラジオ体操も、第二次世界大戦が終わった直後には1週間にわたり中止された。その後また当然のごとく再開されたものの、多くの国民が一斉に同じ運動をするという光景に、全体主義的な恐怖を覚えた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、中止すべしとの命令を出した。これに対し、ラジオ体操の関係者らが、「ラジオ体操は気分を爽やかにするものであり、争いをなくすために効果がある」などと説得するとともに、連合軍の将校たちの前で体操をする姿を見せるなどの努力をした結果、ラジオ体操は再開されることになった。
1951(昭和26)年には現在のラジオ体操第一が考案され、翌年の1952(昭和27)年にはラジオ体操第二が発表された。さらに、1999(平成11)年には、高齢者や障害者が座ったままでできる「みんなの体操」が打ち出された。
現在は、かんぽ生命保険とNHK、さらにNPO法人全国ラジオ体操連盟が提携してのイベント開催などで普及促進活動をしている。さらに、その一環として適切なラジオ体操の定着に向けた指導者としての資格認定制度(「ラジオ体操指導士」)の実施や普及促進に功績のあった人の表彰などを実施している。
一方、ラジオ体操がアメリカから日本へと継承される動きとは別に、旧ソ連でもラジオ体操に似た職場での体操が存在した。1920年代後半には、音楽に合わせて行う労働者のための体操として、生産体操と称される体操が創設された。さらに、1961年にはラジオ放送による体操が開始され、ソ連が崩壊する1991年まで続いた。