名種牡馬サンデーサイレンスは、2002年8月19日に馬齢16歳で亡くなりました。アメリカの競馬史に残る名競走馬は、種牡馬として日本の競馬界にも多大な影響を与えました。
日本競馬を変えた驚異の種牡馬サンデーサイレンスとは?
競走馬時代のサンデーサイレンスは、アメリカ三冠レースのうち「ケンタッキー・ダービー」「プリークネスステークス」を制し、1989年度のエクリプス賞年度代表馬、および最優秀3歳牡馬に選出されています。特に同い年のライバル、イージーゴアとの死闘は語り継がれる名勝負となっており、アメリカでは記録にも記憶にも残る名馬の1頭です。
ところが、輝かしい競争成績を引っ提げて種牡馬となったサンデーサイレンスは、血統が良くなかったことから不遇な日々を過ごすことになります。そこへ、日本の競走馬生産牧場集団、社台グループが購入を持ちかけ、アメリカの歴史的名馬は日本でセカンドライフを送ることになったのです。
日本に輸入されたサンデーサイレンスは初年度からダービー馬を輩出したのを皮切りに産駒が次々に大レースを制し、空前のブームを巻き起こします。そして、日本の中央競馬における種牡馬の記録を塗り替えていったのです。産駒が1億円以上の高値で取引されることも珍しくなく、種付け料、産駒の獲得賞金などサンデーサイレンスが1年間にもたらす経済効果は100億円を超えると言われました。
サンデーサイレンスは亡くなるまで12世代の産駒を送り出し、種牡馬になった馬も少なくありません。中でもディープインパクトは無敗の三冠馬という最高の競争成績だけでなく、種牡馬としても父に勝るとも劣らない結果を残しました。
また、産駒の中には優秀な仔を生みだす牝馬も多く、血脈は太く次の世代へつながっているのです。サンデーサイレンスは自らの競争能力だけでなく、旺盛な闘争心を仔に伝えると言われています。
結果、日本の競馬はサンデーサイレンスの登場によって飛躍的に向上し、海外のレースに日本馬が勝利することも夢ではなくなりました。