2024年から始まる新NISAで、日本の資産運用は重大な転換点を迎えようとしている。言うなれば、それは「資産運用の民主化」だ。本稿は、この四半期に日本が歩んできた資産運用の歴史を振り返り、なぜこれからの未来が「資産運用の民主化」なのかを考えるコラムである。今後複数回に分けて連載する予定だ。
筆者は2017年、『捨てられる銀行2 非産運用』(講談社現代新書)を上梓した。国内外の資産運用について専門家たちに取材し、米大手資産運用会社バンガードの本社も訪れ、考えうる限り、日本の資産運用に関する問題点を論じた。既に6年が経過したが、前進した改革もあれば、6年前と何ら変わらず、たなざらしとなっている根深い問題もある。それを掘り下げていく。
歴史観を整理すると、以下の通りだ。1998年の投資信託の窓販解禁から始まった①「黎明期」、一般NISAが始まった2014年、金融庁の森信親長官が登場した15年以降から現在まで続いたのが②の「混迷期」、あるいは「困惑期」といったところだろう。
そして、岸田政権が資産運用立国宣言をし、新NISAが始まる2024年からは、③の新しい時代が刻まれようとしている。希望も込めて、それを「民主化期」と呼びたい。
格差が拡大する一方の日米家計金融資産
日本の資産運用は紆余曲折そのものである。それを理解するには、日米の家計金融資産の状況から始めるのが分かりやすい。
6年前の『捨て銀2』では、当時の金融庁調査を紹介した。1995年を1とした場合、2015年末時点で米国は3.11倍に増大しているにもかかわらず、日本はわずか1.47倍にとどまっているという衝撃の事実であった。そして6年後の現在、2023年10月に政府が資産所得倍増戦略で示した資料によれば、2000年を1とした場合の21年末は米国が3.4倍、しかし、日本は1.4倍である。6年前よりも日米の格差はむしろ拡大している。理由は、日本では家計金融資産の過半を現預金が占めているからだ。現預金のままでは、資産が増えるはずもない。
『捨て銀2』の執筆時点では、家計金融資産に占める現預金の割合は、日本が50%強、米国が13%だった。今回の政府資料では、2022年6月時点(一部21年3月)で日本が54.9%、2021年末で米国は12.8%となっている。やはりそうだ。日本は現預金の比率がさらに上昇し、米国は低下していることが分かる。
注意しておきたいのは、これを「米国人は投資好きで、日本人は保守的だから預金主義」という国民性のステレオタイプで片付けるのは誤りであるということだ。なぜならば、米国人も石油ショックなどで混乱した市場への不信感から、1980年代までは現預金など元本保証に依存していたからだ。米国人も預金が好きだったのだ。
つまり、投資に国民性はない。
あるのは、成功体験を裏付けとして、企業年金を中心に長期・分散・積立投資を戦略的に推し進めた米国と、手痛い失敗体験で辛酸をなめさせられ「二度と投資には手を出さない」と顧客がトラウマを抱えたか、もしくは金融機関の営業トークに乗せられて、短期的な相場予測や、移ろいの激しいトレンドに興じた投資ならぬ「投機」を繰り返してきただけの日本との差なのだ。
資産運用超大国「米国」はいかにして築かれたか
日本の資産運用における「失敗の本質」を振り返る前に、まず資産運用超大国となった米国の歴史を押さえておく必要がある。
米国では、巨額のマネーを動かす年金制度の改革が資産運用を高度化させてきた。
発端は1949年に最高裁判所が「企業年金は労働条件の一つだ」と判決を示し、1950年代以降、大手自動車GMを筆頭に年金基金の設立が相次いだことだった。
「従業員の大規模な年金を株式市場で循環させることが米国の経済成長につながる」という資本主義の信奉するGMのチャールズ・ウィルソン会長の肝いりの施策であった。これに各企業の年金基金が追随した。
半面、さまざまな問題も生じた。年金基金の運用担当者が、ただ預かった資産を守ることのみにとらわれてしまうような保身行動に走ったり、運用担当者が資産の運用だけでなく、株主として企業に果たさねばならない行動責任を怠ったりした(日本では、この1950~60年代の米国の状態から進化していない企業もある)。
さらに、ペン・セントラル鉄道の1970年の経営破綻をめぐり、事前に情報を察知した取引銀行の法人部門が、顧客から預かった年金運用資産で鉄道株に投資していた信託部門に伝達し、信託部門が株を売り抜けた問題も取り沙汰された。これはインサイダー取引であったが、一方では、破綻情報を事前に知っていたにもかかわらず年金資産を守る行動を取らなければ、運用担当者としては許されないという複雑な事情もあった。すなわち利益相反の構図が浮き彫りとなった。
ちょうど1965年以降、ジョン・F・ケネディ大統領が開始した年金制度改革も相まって、資産運用会社の利益相反を解消し、取るべき行動を法制化する機運が醸成された。
ペンション・ドライブ現象も大きな牽引役を果たした
こうして1974年、投資家に対する忠実義務、利益相反取引の禁止という、顧客利益のためだけに専ら行動するフィデューシャリー・デューティーがエリサ法によって制定された。
ちなみに日本では、このフィデューシャリー・デューティーの重要性が2015年の金融庁森信親長官の登場まで40年以上も見過ごされ続けた事実を強調しておく。
米国ではIRA(個人年金制度)に続き、1978年に401k(確定拠出年金制度)も整備され、普通に働いた労働者が年金基金の資産運用によって手厚い年金を受けとることになり、長期投資の重要性が一気に普及した。こうして1980年代以降、年金基金が米国を資産運用大国に押し上げる「ペンション・ドライブ」という現象が生じた。
米国では1975年、ジョン・ボーグルによってバンガードが設立され、今では市場を席巻している「低コストインデックスファンド」を生み出した。バンガードも運用残高を伸ばし始めたのは1980年代以降である。70兆円もの巨額な資産を運用する米カルパース(カリフォルニア州職員退職年金基金)も1980年代から物言う株主として、行動するようになった。
当然、基金の運用担当者はプロフェッショナルな運用スキルが求められるようになった。極めて優秀な人材が採用されるようになり、報酬も上がり、社会的なステータスも高くなった。優秀な運用担当者は専門性の高い情報を必要とする。結果、ニューヨークに世界各国から国際情勢、軍事、資源、産業、科学技術などにおける最先端の専門家たちが集まり、世界一流のシンクタンクが設立されるようになった。
資産運用とは成長戦略であり、国力の源泉だ。資産運用立国を目指すのであれば、ペンション・ドライブのパワーを活用しなければならないことが分かるだろう。