ボトムアップアプローチを体得したトヨタアセット時代
――運用の面白さを知ったところでトヨタアセットに転職されたのですね。
トヨタアセットは、私の入社時には機関投資家向けの運用をしていたのですが、その後、公募投信も手掛けるようになりました。2003年には、私がファンドマネジャーとして公募のアクティブファンドを立ち上げました。
ITバブルが弾けた後の底を打ったところからのスタートだったのは幸運でしたが、ライブドアショックでは苦労もしました。ただ、リーマンショックは何とか乗り越え、運用成績はおかげさまで順調でした。
――古賀さんの運用に対するお考えや哲学などが構築されたのは、この頃だったのでしょうか?
そうですね。先輩ファンドマネジャーがトップダウン思考(マクロの視点から分析)だったので、同じアプローチでは自分にチャンスが回ってこないと思い、ボトムアップ(個別銘柄から分析)を極めていこうと考えました。
2005年に立ち上げた「中部経済圏株式ファンド」の運用においては、名古屋の企業を中心にリサーチしましたが、当時はIR(Investor Relations、企業が株主や投資家向けに行う広報活動)という言葉もなく、企業を訪問しても、財務や広報ではなく総務部の人が出てきて、「資産運用会社?さんですか。え?会社の方針を聞かせてほしい? はあ……」などと言われる日々。当時の名古屋の企業はPRに関しては東京の企業よりも消極的で、そういった会社に一軒一軒電話して、訪問して、説明して……と苦労したことも、今に生きているかと思います。
チーム運用が生み出す“最適解”
――特に印象に残ったエピソードはありますか?
ファンド設定時にお客さま向けにセミナーを行う機会がありました。当時私は30歳で、セミナーでスピーカーを務めるのはほぼ初めての経験だったのですが、終わった後に定年退職したばかりの方がツカツカと来られて、こうおっしゃったんです。
「自分は80歳までは生きたいと思っている。退職金ももらったし、今の経済状況なら70歳まではなんとかなる。しかし残り10年は不安だから、投資をしなくてはいけない。このファンドに預けて大丈夫なのか?」。
その時に感じた「この仕事は、人の人生を預かる仕事なのだ。決して疎かにはできない」という思いがベースにあります。
――投資家の生の声が古賀さんの運用の原点なのですね。吸収合併により所属先が三井住友DSアセットになり、チームでのファンド運用に変わりました。月次報告の組入銘柄上位を拝見しましたが、時価総額も業種もバラエティに富んでいます。ファンドマネジャーが専門分野でそれぞれ銘柄を選んで組み入れる形なのですか?
運用チームは4名体制で、まずは各人が自分の判断で取材をして銘柄を選び、ポートフォリオの構築はチームで行うかたちを取っています。ただ、セクター(業種)による担当分けはしていません。一般的なアクティブファンドは、セクターを分けて担当しますが、それをしてしまうと、そのセクターの狭い範囲内で順位をつけて投資判断することになるからです。
投資に値する企業の定義として
という考え方は、ベースになるものとしてファンドマネジャー全員で共有していますが、アプローチ法はそれぞれで、お互い干渉しません。情報交換・共有はするけれど、チームの中でもリーダーという立場は設けず、投資判断はそれぞれの運用哲学に基づいて行っています。それがこの運用チームの強みです。
優秀なスターファンドマネジャーによる運用を強みとするアクティブファンドも少なくありませんが、そうしたスタイルではない、チーム運用が当ファンドの好成績の要因の一つと言えるでしょう。長期保有をお客さまにお願いしている以上、一人のスタープレーヤーに頼りきりではリスクがあります。4人チームであれば、一人入れ替わったとしても最大25%の影響で済みます。不測の事態があっても対処できる、そういうところまで踏まえてチームで運用しています。