妻が求めたたった一つの約束

「……でも実際に売れるかどうかなんて分からないでしょ?」

「それはそうだけどさ」

「今の仕事を続けながらやろうとは思わなかったの?」

「もちろん考えたよ。でもうちの会社は副業禁止なんだ。それにタイミングも良くてさ、会社で早期退職者制度の募集が始まったんだ。応募すれば退職金を通常よりも上乗せしてもらえるから」

晴彦が美佳の不安を取り除こうと一生懸命に話しているのは伝わってきた。だが、実際に不安が取り除けるかどうかはまったく別の問題だった。

「今まで長く勤めてきたから、それなりの金額にはなるよ。開業の準備に使う分と当面の生活費に残しておく分も計算してる。だからすぐに生活に困るようなことにはならないから」

晴彦なりには家族のことも考えたうえで出した結論なのだろう。

「……衝動的に辞めたわけじゃないってのは分かったよ。でも事前に相談はしてほしかった。退職金だって当面の生活費とかじゃなくて、もっと大事なことに使いたかったし」

「……ごめん。美佳は応援してくれるものだと思ってたから」

「応援したい気持ちはあるよ。でもそれと会社を辞めるかどうかは別の話だよ……」

今まで趣味がなかったから気付かなかったが、どうやら晴彦は好きなことになると周りが見えなくなり、突っ走ってしまう性格だったようだ。

「分かった。いや、分かってないけど、もう仕方ないんでしょ? でもそれなら1つだけ約束してほしいことがあるの」

「約束?」

「1年間。それで生活していけるだけの収入が得られなかったら、また就職することを考えてほしい」

晴彦は少し驚いたようだったが、うなずいてくれた。

「分かった。1年でちゃんと結果を出せるように頑張るよ」

「あと、これからは何か大事なことを決めるとき、ちゃんと相談してね。今回みたいなことはもうやめてほしいから」

「うん。本当にごめん」

晴彦の返事を聞いて、美佳は小さく息を吐いた。まだ不安は残っていたが、期限を決めた以上、まずは晴彦の挑戦を見守ろうと思った。