市場の関心は9月利上げ後の追加利上げ~カギを握るインフレ期待の上振れ~

鍵を握るのは、長期金利上昇の背景ともなっているインフレ期待(予想)です。といっても、日本ではインフレ期待が実績に応じて事後的に調整される傾向が強いため(これを「適応的期待」と言います)、重要なのは消費者物価のこれまでの実績、特に足もとまでのトレンドということになります。

図表4は、先月2025年基準に改定された消費者物価指数(CPI)の生鮮食品及びエネルギー除く総合指数と、それと関係の深い賃金指数を2015年から見たものです。図にはそれぞれのトレンドラインとして、ざっくりですが前年比が3%になるラインも点線で掲載しています。この図が示しているのは、このところCPIと賃金が相乗的に3%ペースで上昇している姿です。

<図表4 消費者物価指数と賃金指数>

(注)消費者物価指数(CPI、生鮮食品及びエネルギー除く)は、2025年以降を日本銀行が算出する特殊要因除く指数で接続している

(出所)総務省、厚生労働省、日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 

もちろん、日銀が目指しているのはCPIの3%トレンドではなく、「物価安定の目標」の2%トレンドです。つまり、この図が意味するのは、金融政策のフェーズがすでに2%を目指す局面から、2%に抑える局面に変わっているという事実です。

政策金利が中立金利を下回る緩和状態が長引き、CPIの3%トレンドが今後も続けば、インフレ期待も自ずと3%に上振れていくことになります。

そうなれば、CPI上昇率を2%トレンドに着地させることが困難となり、大幅な利上げを余儀なくされる、いわゆるビハインド・ザ・カーブ(利上げが後手に回ること)に陥る可能性が極めて高くなります。日銀の政策委員会が「ヤバい」と焦っていても不思議ではありません。

のんきに構えていれば、昨日1996年9月以来、30年ぶりに3%に達した10年金利はインフレ高進をますます織り込んでさらに上昇して行くことになります。

こうしたことから、CPIの3%トレンドが定着し、インフレ期待が2%を超えて上振れる前に、CPIの上昇ペースを今より低下させる必要があります。9月に利上げした後の追加利上げについては、今のところ筆者のメインシナリオは来年1月で従来から変わりませんが、今後の物価指標の出方次第では、今年12月に早まる可能性も低くはないと見ています。

物価と賃金の上昇率はどこに着地するのか

ところで、図表4に示したCPIと賃金の上昇率は、今後も今の3%トレンドに沿って上昇し続けるのでしょうか。それとも別の均衡点に向けて変化していくのでしょうか。インフレと賃金を示す別の指標を使って、少し理論的に考えてみましょう。

(1)上昇するGDPデフレーターとユニットレーバーコストの意味

図表5は、日本のGDPデフレーターとユニットレーバーコスト(ULC)です。ユニットレーバーコストとは一単位生産するのにかかる労働費用のことで、労働を提供した人が受け取る報酬の総額である「名目雇用者報酬」を、実質GDPで割って算出します。

その分母と分子にGDPデフレーターを掛ければ、名目雇用者報酬を名目GDPで割った労働分配率と、GDPデフレーターに分解することができます。

したがって、GDPデフレーターの伸びは、ユニットレーバーコストの伸びから労働分配率の伸びを差し引いたものと整理することができ、仮に労働分配率が一定なら、GDPデフレーターの伸びはユニットレーバーコストの伸びと同じになります。

確かに、図表5を見ると、両者が同じように推移していることが分かります。ちなみに、両者の乖離部分は労働分配率の変化で説明可能です。

<図表5 GDPデフレーターとユニットレーバーコスト>

(注)シャドーは景気後退期

(出所)内閣府、楽天証券経済研究所作成

 

このように、図表4ではCPIと賃金指数が同じようなペースで上昇しているという現象を、事実として捉えるしかなかったわけですが、同じインフレ指標と賃金指標の組み合わせをGDPデフレーターとユニットレーバーコストに置き換えることによって、恒等式として双方の関係性を捉えることが可能となります。

そのGDPデフレーターとユニットレーバーコストが、近年、かなりの勢いで上昇していることが分かります。

(2)実質賃金は労働生産性に規定される

その具体的な伸び率を、高成長期(1980年~1997年)、低成長期(1997年~2012年)、アベノミクス期(2013年~2019年)、最近(2024年~2025年)に分けて示したのが、図表6になります。

<図表6 実質雇用者報酬と労働生産性>

(注)実質雇用者報酬は名目雇用者報酬を家計最終消費支出デフレーターで実質化。消費者物価は総合指数(消費税調整済み)。労働生産性は内閣府が推計する潜在成長率から、労働時間と就業者数の伸びを差し引いて計算した

(出所)総務省、内閣府、楽天証券経済研究所作成

 

図には、名目雇用者報酬、図表5にも示した「家計最終消費支出デフレーター」、それを用いて名目雇用者報酬を実質化した実質雇用者報酬、消費者物価指数(総合、消費税調整済み)、潜在成長率から労働時間と就業者数の伸びを差し引いた労働生産性の伸びを示しています。

ちなみに、賃金指数と雇用者報酬の違いは、前者が労働者1人あたりの現金給与総額であるのに対し、後者が全雇用者に支払われた報酬の総額であり、雇用者数の変化分が伸び率の違いに現れることになります。

図表6の説明を兼ねて、直近の2024年から2025年を見てみましょう。まず、名目雇用者報酬は、図表4に示した賃金指数より若干高めの3.7%増加しています。

家計最終消費支出デフレーターの伸び3.1%は消費者物価指数の伸び3.0%とほぼ同じであり(基礎データが同じなので、基本的にそうなります)、それで実質化した実質雇用者報酬は0.6%(=3.7-3.1)の伸びに止まっています。実質雇用者報酬を実質賃金と考えると、経済理論上は労働生産性の伸びと同じになるはずで、実際そうなっているのが分かります。

(3)インフレの経済に対する影響、賃金との関係を見るだけでは不十分

さて、問題は、今後名目雇用者報酬やCPIのトレンドに変化が生じるかどうかです。もし、労働生産性に見合わない高い賃金を企業が払っているとすれば、労働分配率が上昇し、やがてそれを抑制する力が働くはずです。

したがって、名目雇用者報酬の伸びが縮小して行き、それに見合ってCPIの伸びも縮小すると想像できます。しかし、今は実質雇用者報酬の伸びと労働生産性が同じという均衡が成立しているわけで、その限りにおいては現在の構図が変化するインセンテイブがないように見えます。

しかし、ここで一つ考えなければならないのは、果たして図表6がマクロ経済全体を描写しているのかどうかという点です。雇用者報酬は前述のとおり、労働を提供した人が受け取る報酬の総額です。

ということは、賃金でも同じことですが、図表6は雇用者(就業者)のみを対象とした議論であって、4千万人弱(公的年金の実受給権者数は2024年度末で3,941万人)に上る年金受給者を考慮していない議論ということになります。

高インフレ(インフレ増税と言っても良いでしょう)が直撃する年金受給者などまで含めて考えると、持続する3%という高インフレに日本経済が耐え得るかどうかは不明です。

仮に、今後、高インフレよって景気が鈍化の度合いを強めていった場合、結果的に労働分配率が上昇し、企業は名目雇用者報酬の伸びを抑制する動きを強め、CPIの伸びが鈍化していくかもしれません。

いずれにせよ、高インフレが続くことの年金受給者を含めたマクロ経済全体への影響については、さらに分析を深める必要がありますが、とはいえ、日銀が2%の物価安定目標を実現させようとする限り、CPIの3%トレンドが定着し、インフレ期待が2%を超えて上振れる前に、CPIの上昇ペースを今より低下させる必要があるという結論が変わることはありません。