母が伝えたかったこと
神社を出るころには、屋台の明かりはほとんど消え、道に残った人の数も減っていた。夜風が吹くたび、頭上の七夕飾りがさらさらと鳴った。萌絵は、かんざしを胸の前で包むように持って歩いていた。
「ママ、ごめんなさい」
玲美はすぐに返事をしなかった。
叱りたい気持ちはあった。門限を過ぎたことも、友達と離れたことも、電話に出なかったことも、どれも軽く流していいことではない。
「萌絵」
「……はい」
「今日、すごく危ないことをしたんだよ。あのお兄さんがたまたま良い人だったから良かったけど、もし悪い人だったら、どこかに連れて行かれてたかもしれない」
萌絵はうつむいたまま、小さくうなずいた。
「うん」
「落とし物を探したかった気持ちは分かる。でも、暗くなってから1人でいたらだめ。何か困ったことがあったら、まずママに連絡して。そしたら、かんざしだって一緒に探せたでしょう?」
「でも……ママが悲しむと思ったの」
玲美は胸が詰まるのを感じた。
夕方、かんざしを挿してやったときの萌絵の笑顔が浮かぶ。大切にしたいと思ったからこそ、帰れなくなってしまったのだ。
「そうだね。大事なかんざしがなくなったら悲しいよ」
そう言うと、萌絵はびくりと肩を揺らした。
「でもね、かんざしがなくなるより、萌絵が帰ってこない方がずっと怖いよ」
萌絵が顔を上げた。目には涙が浮かんでいる。
「ママ……」
「かんざしより、萌絵のほうが大事に決まってるでしょ」
その言葉を聞いた途端、萌絵の表情が一気に崩れた。涙が頬を伝い、握っていたかんざしをさらに強く抱きしめる。
「ごめんなさい」
「うん」
「今度から、なくし物をしても、1人で探しに行かない。ちゃんと約束守る」
玲美は萌絵の頭に手を置いた。まとめ髪は乱れ、おくれ毛が飛び出している。その小さな頭を撫でながら、ようやく体の奥に安堵が広がっていくのを感じた。
「あ、そうだ。鼻緒、切れちゃったんだよね? 足、痛いでしょう」
「うん……ちょっとだけ」
「本当は?」
「まあまあ痛い」
「おいで。ママがおんぶしてあげる」
道の端にしゃがむと、萌絵は驚いたように首を振った。
「えっ、いいよ。萌絵、もう3年生だし」
「今日だけ特別」
玲美が背中を向けると、萌絵は少し迷ってから、おずおずと腕を回した。後ろに手を回してゆっくり立ち上がる。
「ママ、ごめんね」
「もういいよ」
玲美は背中の重みを確かめるように1歩ずつ前に進んだ。祭りの明かりが遠ざかり、夜道には七夕飾りの影が揺れていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
