埋めようのない決定的なズレ
定岡と仕事を回るようになって2週間が経った。
定岡は和司の予想を良い意味で裏切ってくれていた。頼りなくて仕事も適当にするのかと思いきや、そんなことはなかった。顧客の前では愛想も良く資料作成もそれなりに早い。営業経験があるだけあって、話の運び方も悪くなかった。
ただ悪い点ももちろんあった。定時で帰るために納期が先の仕事を平気で後回しにしてしまうところだった。納期さえ守れば何でもいいという割り切った考え方に和司は不安を覚えていた。
そして、とある件を和司は知り、定岡を朝一に会議室に呼び出すことにした。
会議室にやってきた定岡はいつものようにヘラヘラしながら和司に軽く頭を下げた。
「お呼びでしょうか?」
「昨日、串田さんから連絡があったんだ」
串田は長らくお世話になっている取引先の担当者で基本的には定岡とやりとりをしていた。定岡は串田という名前を聞くや、表情をわずかに引き締めた。
「何かあったんですか?」
「串田さんから今やってるものと別に追加で見積もりと比較表の作成を頼まれていたな」
「はい、そうですね」
「俺はその報告を受けていない。仕事の話があったら逐一報告をするようにと俺は言っていたはずだ。それに串田さんのところには、見積もりや比較表をできるだけ早く出すのが通例だ。それは前にも伝えただろう」
定岡は気まずそうに視線を落とした。
「……はい、それは聞いてました」
「なのにどうして後回しにした?」
「導入自体はまだ先だと聞いていたので、今日の朝でも間に合うと思ったんです。昨日は定時も近かったですし、急ぎならはっきり今日中と言われるかなと……」
和司は真面目な口調で質問をした。
「……串田さんはできるだけ早めにもらえると助かると言ってたんだろう?」
「はい。でも今日中に必ずとは言われませんでした」
和司は眉間を指で押さえた。
「串田さんの会社は社内確認が多い。こちらの対応が遅れれば、そのぶん向こうの判断も遅れる。だから早めに返す必要があると説明したはずだ。それにできないならできないで俺に報告をするべきだった。なぜ黙って翌日に回した?」
「定時で帰れなくなってしまうからです」
定岡はうつむきながらも正直な気持ちを伝えてきた。予想できた答えだった。
「……残業をしないことは別にいいんだ。会社だってそういう方針だ。ただ残らないといけない場面だってある。その考え方は改めなさい」
和司は怒りを押し殺して定岡に話をした。定岡は話を聞きながら口をすぼめていた。そして和司の言葉が切れると顔を上げて話し出した。
「報告しなかったのはすみません。でも早めにもらえたら助かるという依頼を全部拾っていたらいつまでも帰れなくなります。このような仕事をお願いされたのは過去に何度もありましたから」
「向こうサイドとしては、こちらからの対応が早ければ早いほど仕事がスムーズになるんだ。だからそう言うに決まってるだろ」
「だとしたら、すべてをやることは私にはできません」
定岡はきっぱりと言い切った。和司は眉根をぴくりと上げた。
「私は仕事だけをして生きてたいわけじゃありません。私にとって仕事は人生を豊かにする一要素でしかありませんから」
「その考えが甘いと言ってるんだ。まずは社会人として責任を果たせ」
しかし定岡は厳しい顔で言い返してきた。
「決められた時間内でやれることは精一杯やっています。それ以上をすることはできません。こっちにも生活があるんです」
和司が何を言っても定岡は考えを改めることはなく、話し合いは平行線のまま終了した。
●仕事を最優先にしてきた和司は、部下・定岡の仕事以外の私生活を優先する働き方を「甘い」と切り捨て、価値観の違いを真正面からぶつけてしまった。だが、その一件は思わぬ形で和司に影響を与えていくことに…… 後編【仕事さえしていれば正しいはずだった…パワハラ疑惑上司が初めて気づく家族との決定的な距離】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
