明子から告げられた拒絶の言葉

とはいえ、徹の言っていたことが気になったのも事実だった。たまには明子の気を引くような話題を振ってみるか。拓郎はついこの前見た地方移住の特集を思い出した。

「俺はな、定年したら地方に移住をしようと思っている」

この数日、考えていたことだった。通学や通勤の都合を考えて今のマンションに暮らしているが、定年を迎えてしまえば、今のマンションに住み続ける理由はない。幸い、都内の不動産の価値は上がっていると聞くし、このマンションを売って地方に一軒家でも買って老後を過ごすのは、随分といい考えのように思えた。

しかし明子は無表情のままだった。

「嫌よ。私はそんなの絶対に嫌」

「……え? 嫌? 何でだよ?」

「地方になんて住みたくない。私は都内のほうがいい」

今まで明子が拓郎の提案を拒否したことなんてなかった。従順だと思っていた明子に冷たく頭ごなしに否定されたことが酷く勘に障った。

「……このまま東京に住んでどうする? 地方のほうが自然もあるし落ち着いた生活ができるんだぞ……?」

明子は鋭い視線をこちらに向けてきた。

「落ち着いた生活なんて求めてないわ。やりたいのならあなた1人でやってよ」

拓郎は明子の提案を鼻で笑う。

「俺が地方に行ってしまったらお前はどうやって生活するんだよ? 俺のおかげでここまでやってこれたくせに」

拓郎がそういった瞬間、明子は持っていた箸をゆっくりと置いた。

「だったら別れましょうよ。 お互いこれからは好きなことをやったらいいじゃない」

「どういう意味だ?」

「そのままよ。離婚しましょうって言ってるの」

明子の言葉も表情も冷静だったが確かな覚悟が見えた。突然離婚を告げられた拓郎は言葉が出てこず、何も返すことができなかった。

●仕事一筋で生きてきた拓郎は、会話のない夫婦生活を当たり前だと思っていた。しかし友人から「会話がないのは離婚の前兆」と告げられる。気になった拓郎は妻・明子に地方移住を提案するが、明子は初めて拒否し、突然離婚を告げた…… 後編【「あなたとはもう一緒にやってられない」離婚届を突きつけた妻が明かす夫が全く知らなかった「覚悟」】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。